日時: 2024年2月3日(土)
場所: 新国立劇場オペラパレス
指揮: ヴァレンティン・ウリューピン
演出: ドミトリー・ベルトマン
演奏: 東京交響楽団
合唱: 新国立劇場合唱団

オネーギン:ユーリ・ユルチュク
タチヤーナ:エカテリーナ・シウリーナ
レンスキー:ヴィクトル・アンティペンコ
オリガ:アンナ・ゴリャチョーワ
グレーミン公爵:アレクサンドル・ツィムバリュク
ラーリナ:郷家暁子
フィリッピエヴナ:橋爪ゆか
ザレツキー:ヴィタリ・ユシュマノフ
トリケ:升島唯博
隊長:成田眞


アレクサンドル・プーシキンの韻文小説が原作、チャイコフスキーは「歌劇」ではなく「抒情的情景」と呼んでいます。
それぞれの登場人物の内面の心の動きを細やかに丁寧に描いた、切ない愛のすれ違い物語、ロマンチックな音楽で綴られています。


指揮者と主要歌手陣はロシアとウクライナ出身という混成チーム。
この時期に、このような公演ができることは意義深く、貴重なこと。胸熱です!

ヴァレンティン・ウリューピン指揮するオーケストラは、繊細で伸びやか、気品と哀愁に満ちて優雅で豊麗、詩情豊かで情感たっぷり、充実しています。
艶のある弦楽器の響きが美しく、まろやかな木管楽器の響きが心地よい、よく統制されたハイレベルな演奏です。
近年、新国オペラでのオーケストラの演奏の質が向上しているようで、嬉しい。

オネーギン役のユーリ・ユルチュクは、長身なハンサム、キザでシニカル、厭世的な貴族の雰囲気を醸し出し、柔らかい響きで充実した歌唱力です。
が、声質がやや明るく軽め。
私のイメージするオネーギンとは少々違う…より深く陰翳のある声が欲しかった。(^^;;
METライブビューイング(WOWOW)での故ディミトリ・ホロストフスキーが印象深く、私の理想のオネーギンなのです。(T_T)(T_T)
が、これを言っても、仕方がないこと。(ーー;;
説教するように軽はずみな行動をしたタチヤーナを窘め、決闘で親友レンスキーを殺害して、外国を放浪、ますます鬱屈として孤独感を抱き、虚無的になっていたところでのタチヤーナとの再会。
一瞬、動揺しつつも勝手に明るい希望を見出したのも束の間、拒絶され恥辱にまみれ、慟哭に突き落とされる…。
クズ男なのですが、夢見がちなタチヤーナが一目惚れして、拒絶されても尚その恋心を胸に秘め続ける…やはりオネーギンには洗練された魅力が感じられます。

タチヤーナ役のエカテリーナ・シウリーナは、瑞々しくクリアで清澄な声質、豊かな声量で、充実した歌唱力・表現力です。
清純な乙女、そして気品のある貴婦人を演じています。
迸り燃え上がる恋心と不安を歌い上げる「手紙の場」は、聴き応えたっぷり、惹き込まれます。
苺摘みの少女たちの甘美なコーラスをバックに、オネーギンの冷酷な返事に、切なさと絶望感が伝わってきます。
第三幕第二場、オネーギンとタチヤーナの激しい感情の動き、「幸福はすぐ近くにあったのに」が切なく哀しい。
若き日の恋心に引き摺られることなく断ち切る、侯爵夫人としての気高さと誇り、聡明さは魅力的。
ロシア文学史上、最も愛される「理想の女性」とされていることにも納得。

レンスキー役のヴィクトル・アンティペンコは、柔らかく伸びやか、甘美な声質で、充実の歌唱力。
一本気で情熱的な性格、決闘を前にして歌う「青春は遠く過ぎ去り」は、郷愁そそられて、見事です。

グレーミン公爵役のアレクサンドル・ツィムバリュクは、深く豊かな低音美声で、老年の恋心がしみじみと味わい深い。
見事な歌唱力・表現力です。

オリガ役のアンナ・ゴリャチョーワは、深く艶のある美声。
タチヤーナの陰に対して陽、快活な性格で、手堅い歌唱です。
が、原作でも年若いとはいえ、性格設定と衣装が幼過ぎて、声質とミスマッチ。
(これは演出の問題でしょう。)

その他、歌手陣は高水準で、合唱もいつもながら充実しています。
(第一幕前半の、農民たちがラーリン家に集う場面の合唱はカット。)


ドミトリー・ベルトマンによる演出は、大きな複数の柱のある装置や衣装など基本的にはオーソドックスなもの。
とはいえ、微妙な点もいくつか…。

物語上、"手紙"が重要な鍵ですが、人物関係や場面、時の流れと絡め、舞台上でも巧く表現しています。
タチヤーナからオネーギンだけでなく、レンスキーからオリガへ(自ら燃やしてしまいますが)、オネーギンからタチヤーナへの手紙を書く場面が、舞台上であります。

最終場面、タチヤーナはローズ色のドレスに身を包んでいますが、オネーギンが訪れる前に脱ぎ捨て、少女時代にオネーギンに手紙を書いた時と同様の白色ナイトドレス姿になっています。
(通常、夫以外の男性が来るというのに、ドレスを脱ぐだろうか…??(^^;;)
少女時代の心を取り戻し、一瞬心を通わせたように見えつつ、追いすがるオネーギンを払いのけ、立ち去ります。
慟哭の中で、タチヤーナのローズ色のドレスを抱きしめるオネーギン…実際にこの時に愛していたのは、タチヤーナその人ではなく、侯爵夫人という肩書のあるタチヤーナということなのでしょうか。
このローズ色、少々安っぽく、必要以上に若く見える(実際にまだ若いのでしょうが…(^^;;)、より深いワイン色などであれば、より高貴さが感じられたのでは…!?

田舎での宴のワルツと帝都での舞踏会のポロネーズ、田舎っぽく溌溂とした快活さ、高貴で優雅な華やかさを、それぞれ音楽的に表現。
演出的にも、ストップモーションのような絵画的手法を使用して、対照的に表現しています。
村人たちや社交界が、噂好きで悪趣味・不寛容な群衆として、描かれていることも良い。
が、合唱陣による舞踊は少々稚拙(ーー;;、少人数でもバレエダンサーを起用して欲しい。

第三幕第一場、舞踏会で睨みを効かせていた黒色ドレスの老齢の貴婦人は誰なのでしょう…。
尚、タチヤーナ以外の女性は皆、黒色ドレスを着ています。
この舞踏会の主催者かな…黙役ですが、存在感があります。

決闘の場面、オネーギンに闘う意思はなく、的を外そうとしたものの、不審に近づいてきたレンスキーに偶発的に銃弾が当たってしまったことが、明確に描かれています。
それにしても、オネーギンの介添人(ムッシュー・ギヨー)が酔っ払ったフランス人なのはいかがなものか…シリアスな場面にコミカル要素を入れ込み、目障りで不愉快。
オネーギンにとっては、この決闘は茶番とみていたという演出意図なのでしょうが、コミカル演技が過剰で全体の流れを妨害しているように思うのです。(ーー;; (ーー;;


とはいえ、大好きなオペラ、高水準の公演に満足です。


    


写真左:第1幕第2場
写真中:第2幕第2場
写真右:第3幕第1場


このプロダクションの初演(2019年秋)を最終日に鑑賞する予定でしたが、大型台風接近により、交通機関も計画運休となり、舞台は中止。
後日、配信で見たのですが、その時に比べると、オリガの幼稚さ・我儘さ、母ラーリナのタチヤーナに対して冷淡という性格設定は、控えめになっているようです。
良かった…生舞台は観たいと思いつつも、あのオリガは嫌だと思っていたのです。(^^;;(^^;;
まぁ、それでも幼過ぎているように感じたのですが…。
介添人については、やはりトリケとともに酔っ払いだったと…でも、配信ゆえか、ここまでの不快感は書いていませんでした。