原田マハの『リボルバー』を読了後、「ひまわり」などゴッホの作品ををまた観たいな…、SOMPO美術館へでも行こうか…と思っていたところ、この展覧会を知りました。
1987年3月に安田火災海上(現損害保険ジャパン)が、ゴッホの「ひまわり」をロンドンのクリスティーズにて2250万ポンド(当時の為替レートで約53億円)で落札した(最終的な購入金額は手数料込みで約58億円)というニュースは、当時から認識して、興味を持っていましたが、何故か長らく未見のままでした。
日本にあり、いつでも観られると思っていると、なかなか出掛けないものなのですね。(^^ゞ


フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)は、37歳の生涯に約850点の油彩を描き、そのうち静物画を扱ったものは190点ちかくにのぼります。
17世紀オランダから20世紀初頭まで、ヨーロッパの静物画の流れの中にゴッホを位置づけ、ゴッホが先人達から何を学び、それをいかに自らの作品に反映させ、さらに次世代の画家たちにどのような影響をあたえたかを、探る展覧会です。

尚、この展覧会はSPMPO美術館移転後の開館特別企画展として2020年に開催が予定されていたものの、新型コロナウィルス感染拡大の影響で中止となり、今回3年の時を経て開催されたとのこと。


(展示構成)
  1. 伝統-17世紀から19世紀
  2. 花の静物画-「ひまわり」をめぐって
  3. 革新-19世紀から20世紀


人物を描く画家を目指していたゴッホは、はじめは静物画というジャンルを油彩の技術を磨くための「習作」とみなしていたようです。
初期の静物画には、後に描くようになる花の静物画は数えるほどしかなく、瓶や壺、果物や野菜、靴、鳥の巣といったモティーフを、褐色や茶、黒を中心とする暗い色調で描いています。
「麦わら帽のある静物」(1881年11-12月)は、ゴッホ最初期の静物画で、油彩画に取り組み始めた時期の作品。
ヴァニタス(人生の虚しさ)という主題の「髑髏」(1887年5月)、ゴッホには珍しい動物を描いた「コウモリ」(1884年10-11月)、農民を主題にした「靴」(1886年9-11月)などがあります。
ゴッホが静物画を、とくに花の静物画を数多く描くようになるのは、パリ滞在中(1886~1887年)のことです。
ゴッホ自身も手紙のなかで、1886年の夏は「花しか描かなかった」と語っています。
モデル代の不足という経済的な理由に加え、色彩の研究のために花の静物画に取り組んでいたのです。

初期の暗い色調の作品よりも、明るい色彩の花々の作品の方がやはり惹かれます。


「花瓶の花」(ウジェーヌ・ドラクロワ、1883年、スコットランド・ナショナル・ギャラリー)
ロマン主義を代表する画家ドラクロワによる最初期の花の絵、ガラスの花瓶にいけられた赤・白・黄・オレンジなどの花々が自由なタッチで描かれています。
ゴッホはオランダにいた頃から、ドラクロワの色彩の表現力に感銘を受けていたことが手紙からわかっています。
ゴッホの色彩豊かな絵画は、ドラクロワからの影響もあるようです。

「アネモネ」(ピエール=オーギュスト・ルノワール、1883-90年頃、ポーラ美術館)
ブルー系の背景に、赤やピンクの濃淡色合いのアネモネの花が、柔らかいタッチで描かれています。
ルノアールらしい、とても優美な作品です。

「青い花瓶にいけた花」(フィンセント・ファン・ゴッホ、1887年6月頃、クレラー=ミュラー美術館、オッテルロー)
パリ滞在2年目に描かれた花の静物画、鮮やかな水色の花瓶に黄・青・赤・白の花がいけられています。
明るい色彩で自由な筆触、ゴッホが色彩の組み合わせの研究をしていたことが窺えます。
背景の細かいタッチに印象派の影響がみられますが、花の部分は絵の具を厚めに塗り、テーブルは比較的長めのタッチで描かれています。
ゴッホの作品の多くからは哀愁や魂の叫びを感じてしまうのですが、この作品には軽やかさがあり、幸せそうな心地よい作品です。

「野牡丹とばらのある静物」(フィンセント・ファン・ゴッホ、1886-87年ごろ、クレラー=ミュラー美術館、オッテルロー)
濃い目のブルーの濃淡を背景に、赤・ピンク・白の花々が豪華に花瓶にいけられ、溢れんばかりにテーブルにも置かれています。
画面の大きさ、構図、軽いタッチなど、ゴッホとしては特異な作品とされています。

「白いシャクヤクとその他の花のある静物」(エドゥアール・マネ、1880年頃、ボイマンス・ファン・ブーニンヘン美術館、ロッテルダム)
白色と黄の筆致を工夫して重ね塗りしたシャクヤクの花々、暗い背景色によく映えています。
ゴッホは弟テオに宛てた手紙の中で、「筆致の変化だけで筆の働きをみせるために努力をしている」と語っています。
同系色を重ねて画面を構成する、「黄色い背景のひまわり」を描く過程で、影響を与えた作品とされています。

「カーネーションをいけた花瓶」(フィンセント・ファン・ゴッホ、1886年、アムステルダム市立美術館)
赤・ピンク・白・青など、様々な色を自由に組み合わせることが可能な花を描くことで、色彩の研究をしています。
大き目のタッチで、色を塗り重ねています。

「ばらとシャクヤク」(フィンセント・ファン・ゴッホ、1886年6月ごろ、クレラー=ミュラー美術館、オッテルロー)
ピンク・白・赤、緑の葉、緑の花瓶、上方は赤黒系で下方はブルー系の背景。
背景は大き目のタッチで描き、自由なタッチで花々の色を厚く塗り重ね、ボリューム感が表現された、ゴッホらしい作品。
今回、最も魅せられた絵のひとつです。

「赤と白の花をいけた花瓶」(フィンセント・ファン・ゴッホ、1886年、ボイマンス・ファン・ブーニンヘン美術館、ロッテルダム)
弟のテオを頼ってパリに出てきた年の作品、やや暗く重たい画面です。

「グラジオラス」(クロード・モネ、1881年、ポーラ美術館)
白・ピンク・黄を重ねた柔らかい色合い、すっと伸びる茎と葉、優しい雰囲気の作品です。
淡い色調のもの、やや濃い色調のもの、2つ同様の作品が並べられています。
掛軸を想起させる縦長の画面、浅い空間、一輪差しという簡潔な構図から、日本美術の影響を受けているようです。

「結実期のひまわり」(フィンセント・ファン・ゴッホ、1887年8-9月、ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム)
パリに滞在中(1886-87年)、ゴッホはひまわりを繰り返し描いています。
初めは数種類の花の静物画の中に混ぜたひまわり、そして風景画の中にひまわりを描き込んでいます。
ひまわりが単独で静物画として描かれたのはパリ滞在2年目(1887年)のこと、その最初の作品。
緑を背景に、素早く粗いタッチでやや暗めの色調、小さいサイズの作品です。

「ひまわり」(フィンセント・ファン・ゴッホ、1888年11-12月、SOMPO美術館)
ファン・ゴッホは1888年2月に南フランスのアルルに向けてパリを出発、そこで画家仲間との共同生活を計画し、敬愛する画家ポール・ゴーギャンを招待しました。
「ひまわり」はゴーギャンの到着を待ちながら、その部屋を飾るために描かれたもの。
SOMPO美術館が収蔵する「ひまわり」は、1988年8月に描かれた1点目の「黄色い背景のひまわり」(ロンドン、ナショナル・ギャラリー)をもとに、
実際にファン・ゴッホがゴーギャンと共同生活を送っていた1888年11月下旬から12月上旬頃に描かれた、セルフ・コピーと考えられています。
基本的な色や構図はロンドンにある作品と同じですが、全体の筆遣いや色調は異なり、色彩や明度、タッチの研究をして、考察を重ねていたようです。
満開の花、萎れた花など、時の経過を表し、ひまわりの生命力が感じられ、迫力があります。

「アイリス」(フィンセント・ファン・ゴッホ、1890年5月、ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム)
亡くなる年にサン=レミの病院で描いた作品です。
燃えるように咲くアイリス、まっすぐに伸びる緑の葉、一方で萎れた花など、生命そのものを描いているようです。
紫色の花と黄色の背景は、色彩的対比をみせ、花の力強さを引き立たせています。
「対極にある色が互いに高め合う、全く異なる補色の効果」と狙ったと、手紙の中で語っています。
構図や色の対比、前年に描かれた「ひまわり」との関係が窺えます。

「「ファン・ゴッホ展」図録」(リヒャルト・ロラン・ホルスト、1892年、リトグラフ/紙、SOMPO美術館)
ゴッホの死後、最初に開催されたゴッホ展の図録の表紙。
萎れた花、ひまわりに光輪を配して、ゴッホの死に哀悼を表しています。

「レモンと籠と瓶」(フィンセント・ファン・ゴッホ、1888年5月ごろ、クレラー=ミュラー美術館、オッテルロー)
黄緑色の壁を背景に、テーブルの上の籠、果物、瓶が描かれています。
背景、テーブル、篭、果物は黄色の同系色で描かれ、細かい点や平行線など様々な筆致で描かれています。
この時期、ゴッホは「明色の上に明色を重ねる」という、同系統の色を使いながらタッチの違いだけで対象を描き分けよう試みています。

「皿とタマネギのある静物」フィンセント・ファン・ゴッホ、1888年5月ごろ、クレラー=ミュラー美術館、オッテルロー)
ゴーギャンとの共同生活破局後に、剃刀で自身の耳を傷つけてアルルに入院、そして退院後間もなく描かれた作品。
タマネギ、蝋燭と燭台、本やパイプなど、ゴーギャンと暮らしていた頃の作品に登場したモティーフが並んでいます。
蝋燭やパイプなど、ヴァニタスを思わせるところもありますが、色彩は明るく、日常性を感じさせます。

「ばらと彫像のある静物」(ポール・ゴーギャン、1889年、ランス美術館)
フランス北西部ブルターニュ地方の小村ル・ブルデェ、ゴーギャンが滞在していた宿「ビュヴェット・ド・ラ・ブラージェ(浜辺の食堂)」で描かれたもの。
花瓶の横に置かれた裸婦像はゴーギャン自身で制作した彫刻で、宿屋の女主人に借金返済の代わりに渡したとのこと。
ゴーギャンの生活も大変だったようです。

「花束」(ポール・ゴーギャン、1897年、マルモッタン・モネ美術館、パリ)
ゴッホが亡くなってから7年後、1897年に最愛の娘を亡くし、自身も病や金銭面で悩まされ、12月には自殺未遂を起こします。
病が小康状態の時に、木製の鉢にいけられた鮮やかな花々と果物を描いたとされています。

「篭の中の花」(イサーク・イスラエル、1930年以前、クレラー=ミュラー美術館、オッテルロー)
石畳の路上に置かれた篭の中に、黄と赤と白の花が入れられています。
売り物の花なのでしょう。


美しい花々を描いた作品が多く、心地のよい美術展です。
撮影可能な作品が多く、何点か撮影した上で、何枚か絵葉書を購入。
帰宅後に母に見せると、「こんなに素敵な絵を描いていたのに、生前は一枚しか売れなかったなんて、なんて可哀想なの…」と。
現代は大人気の画家の一人、時代の一歩先を歩いていたとはいえ、本当ですよね。


尚、開催してから1週間のうちに行ったので、さほど混雑せずゆっくりと鑑賞できたのですが、まさかのミュージアム・ショップ。(ーー;;
絵葉書を数枚買うために約20分待ちでした。(@_@)
そうそう、入場時も係員1名がスマホでQRコードを読み取るという方式で、大きな美術館・博物館に比べてやや手間取っている様子、あまりスムーズではありませんでした。(ーー;;


写真左:「青い花瓶にいけた花」
写真中:「ひまわり」
写真右:「アイリス」


    


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ヨーロッパの美術史の中で、静物画が絵画の分野として確立するのは17世紀のことです。市民階級が台頭し経済的に発展したネーデルランドやフランドル(現在のオランダ、ベルギー)で盛んに描かれ、身の回りの品々はもちろん、富の豊かさを示すような山海の珍味、珍しい工芸品、高価な織物などが描かれました。
一方で、砂時計や火が消えたロウソク、頭蓋骨など、人生のはかなさや死を連想させる事物を寓意的に描き、人々を戒めるための作品も描かれました。
静物画の中で最も好まれる主題は「花」ではないでしょうか。花は人物と並んで人気の高い主題で、静物画の黄金時代である17世紀には花を専門に描く画家も活躍していました。
ゴッホが活躍した19世紀、フランスの中央画壇では歴史画や人物画を頂点とした理念のため、静物画は絵画のヒエラルキーの下位に位置づけられていました。
しかし花の絵の需要は高く、多くの画家が花の静物画に取り組んでいました。
「絵画における事物の再現」という考え方は、印象派でピークをむかえたと言えるでしょう。
「見たままを写す」という印象主義の考え方に疑問を抱いた画家たちは、色や形といった絵画の要素に注目し、それらを使っていかに二次元の絵画で自己を表現するかを追求し始めます。
ゴッホ、ポール・ゴーギャン、ポール・セザンヌら「ポスト印象派」と呼ばれた画家たちは、静物画でも新しく自由なスタイルを展開し、その姿勢は20世紀の画家に受け継がれていきます。
(公式HPより)