日時: 2023年3月14日(火) 19:00~
場所: サントリーホール
メゾ・ソプラノ: ワルトラウト・マイヤー
バリトン: サミュエル・ハッセルホルン
ピアノ: ヨーゼフ・ブラインル

(プログラム)
A:マイヤー B:ハッセルホルン C:マイヤー&ハッセルホルン

フランツ・シューベルト
 憩いなき愛 op.5 No.1, D138 B
 小人 op.22 No.1, D771 B
 糸を紡ぐグレートヒェン op.2, D118 A
 万霊節のための連禱 D343 B
 若い尼僧 op.43 No.1, D828 A

ヨハネス・ブラームス
 永遠の愛について(「4つの歌」op.43 第1曲) B
 エオルスの竪琴に寄せて(「5つの詩」op.19第5曲) A

ロベルト・シューマン
 第3曲「悲劇」より(「ロマンスとバラード集」第4集 op.64)
  I わたしと一緒に逃げて B
  II 春の夜に霜が降りて B

リヒャルト・シュトラウス
 夜 op.10-3 A

ロベルト・シューマン
 ペルシャザール op.57 B

リヒャルト・シュトラウス
 明日の朝(「4つの歌曲」op.10-1 第4曲) A
 献呈(「最後の花びら」より8つの歌 op.10 第1曲) A

グスタフ・マーラー
 ラインの伝説(「子供の魔法の角笛」より) A
 うぬぼれ(「若き日の歌」より第3集:第5曲) B
 塔の中の囚人の歌(「子供の魔法の角笛」より) C
 この世の営み(「子供の魔法の角笛」より) A
 美しいトランペットが鳴り響く所(「子供の魔法の角笛」より) B
 番兵の夜の歌(「子供の魔法の角笛」より) C
 死んだ鼓手(「子供の魔法の角笛」より) B
 魚に説教するパドヴァの聖アントニウス(「子供の魔法の角笛」より) A
 シュトラスブルクの砦で(「若き日の歌」より第3集:第1曲) B
 原光(「子供の魔法の角笛」より) A

(アンコール)
シューマン:二人の擲弾兵 B
シューベルト:魔王 A
マーラー:不幸なときのなぐさめ(『子供の魔法の角笛』より) C
シューベルト/ブラームス:子守唄 B/A


深く艶と潤いのある美声、卓越した歌唱力と表現力で、ワーグナー歌手としてインパクトを残してくれたマイヤー様のさよならコンサートです。

ジークリンデ、ヴァルトラウテ、ヴェーヌス、イゾルデ、オルトルートを生鑑賞できたことは宝物です。(*^^*)(*^^*)
とりわけ、ベルリン国立歌劇場来日公演でのジークリンデ(2002)とイゾルデ(2007)は、印象深く、思い出深い。(*^^*)
初めて聴いたのはジークリンデ(1997)、最後のオペラは新国でのヴァルトラウテ(2017)、個人的に細いながら長く聴けた大好きな歌手です。
2015年東京春祭でもジークリンデを聴くはずでしたが、直前に骨折して、欠席した悲しく苦い思い出もあります。(ToT) (ToT)
通常、滅多に行かない歌手のリサイタルですが、2005年の<ワルトラウト・マイヤー メゾ・ソプラノ・リサイタル>(ドイツ・リート)は鑑賞。
やはり、私にとっては特別な歌手なのです!!


さよならコンサートでは、味わい深いドイツ・リートの世界を堪能。
さすがに声は細くなり、声量も控えめですが…(御年67歳とのこと)
抒情性たっぷり、繊細に丁寧に歌詞を噛み締めるように歌い、しみじみと感動させられます。
特に、前半のR.シュトラウスの「夜」「明日の朝」、そして「献呈」、プログラムの締めのマーラー「原光」は、心に沁みて魅力的。
アンコールの「魔王」では、父子魔王それぞれを劇的に演じて歌い、かつてのオペラを彷彿させて、神々しいこと。
ブラームス「子守唄」は、優しく包み込むような温もりがあります。(いい夢を見られそう…)

サミュエル・ハッセルホルンは、朗々とした若手バリトン、明るめの声質です。
マーラーのドラマチックな歌など、表現力もあり、充実した歌唱力です。
今後の活躍を期待します。

ヨーゼフ・ブラインルのピアノは、充実した豊かな表現力です。
シューベルトのドラマチックな心情、管弦楽で奏でられることの多いマーラーを、ピアノ一台でダイナミックに巧みに奏でています。

プログラム構成には物語性があり、哲学があるように感じます。
前半では、シューベルト、ブラームス、シューマンの"愛"、"悲哀"や"苦悩"、"屈折"や"傲慢"、そして"恍惚"などを歌い、R.シュトラウスの静謐で深遠な世界観で"愛"を称えます。
後半のマーラーでは、戦争の虚しさ、この世の残酷さ、皮肉を、時には男女で掛け合いながら歌い上げた後に、「原光」で浄化します。

心温まる、そして心に残る素敵な<さよならコンサート>です。
マイヤー様、長年、ありがとうございました。


マイヤーは朱色のドレスをお召しでした。


  

 



(追記)
2007年のベルリン国立歌劇場の来日公演、ダニエル・バレンボイム指揮『トリスタンとイゾルデ』は、私のオペラ鑑賞史に残る、それはそれは素晴らしいものでした。
オーケストラ、歌手、演出、全てが素晴らしく、マイヤー歌うイゾルデの"愛の死"は落涙もの。
マイヤーが歌い終え、オーケストラが鳴りやみ、バレンボイムが指揮棒を下ろしてから、待つこと10秒ほどの余韻を味わう静寂、そして割れんばかりの拍手喝采…!!

フライング拍手・フライング・ブラヴォーが全くなし。
これだけしっかりと余韻を味わう観客も見事です。
後にも先にも、このような公演は無かったのではないでしょうか。


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さよならコンサートを前に、ロング・インタビューからの抜粋

―長年オペラと共にリートをライフワークとして取り組んでこられました。今回の集大成となる、「日本での最後のリサイタル」において、今回のプログラム(曲目)を組まれたことについて、教えてください。

マイヤー:私の好きなリートばかりを選んだのですよ。それは、まずシューベルトの「糸を紡ぐグレートヒェン」と「若い尼僧」です。好きな歌を全部歌うと4時間以上のプログラムになってしまうので、厳選しました(笑)。
ブラームスの「エオルスのハープに寄せて」は、本当に私が大好きな歌なのです。そして、やはりR.シュトラウスもとなり、今回のプログラムになりました。本当に私が好きな曲ばかりを選んだのです。
共演するサミュエル・ハッセルホルンとはテーマに沿ってプログラムを構成できましたし、よい選曲となったと思っています。ハッセルホルンはまだ若いドイツ人のバリトン歌手ですが、きっと日本の皆さまにも気に入っていただけると確信しています。これからキャリアをどんどん積んでいくと思いますが、半年前にベルリンで『ドン・ジョヴァンニ』を急
遽、代役で歌い指揮の(ダニエル・)バレンボイムにも大変気に入られました。

――あなたが考えるリートの魅力は何でしょうか?

マイヤー:リートは、ピュアなのです! ピュアで純粋なのです! それにも関わらず、全てのエモーションがある(入っている)のです。細密画のように、全てのストーリーがそこに入っているのですから.....。キッチンで20時間くらいかけて一つのソースを作ることに例えられるよう。そのソースには全てが詰まっているのです。それがリート! もちろん集中力が必要です。オペラはまた違う集中力で、オペラの場合は長い弧を描くような、と言えるでしょうか。リートは、ひとつひとつの言葉が大事で、その言葉の意味、内容の核心を表現することが大事です。私は詩が大好きなのです。
(リートの詩、その言葉と音楽との関係性は、オペラに比べると)とてもインテンシヴですね。例えば、ゲーテの詩、「糸を紡ぐグレートヒェン」は、各言葉の豊かさが全く違いますね。ヴェルディのオペラを悪く言うつもりはありませんが、ヴェルディのオペラの歌詞は、最高峰の文学とは言えないと思います。でもゲーテの詩、その言葉は素晴らしいのです。言葉が大切なのです。それがリートの一番の魅力ですね。

――オペラとリートで、歌い手としてアプローチの違いはありますか?

マイヤー:最初の取り組み方という意味では違いはありません。まずテキスト、歌詞をよく読んで、それから音楽と合わせて読んでいきます。その作品について、文学的なことや解説は、そのあとから読むようにしています。というのは、私の解釈は、まずスコア、楽譜に忠実にということです。他の誰かがこの作品について言っていることではなく、歌詞の言葉と楽譜から、私は自分の解釈をして歌うようにしています。

――これまでのキャリアのなかで、同じオペラや歌曲でも歌う時(ご自身の年代やキャリア)によって変わられることがあるでしょうか。"今ならでは"の新たな発見や解釈があれば教えていただけますか。

マイヤー:私は1976年にデビューし、最初のころは『ばらの騎士』のオクタヴィアンをかなりの回数歌っていて、とても好きな役でしたが、ある時、シュツットガルトでゲッツ・フリードリヒのとても良い演出の『ばらの騎士』で、急にこの役はもう自分ではないと、舞台に立って感じたのです。自分の中にオクタヴィアンを感じられなくなったのです。この役はもう私ではないと。
またその反対に、オルトルートの役は、長く歌っていませんでした。私はオルトルート役はすごく叫んでばかりで自分の声をダメにすると思っていたのです。ある時、メゾ・ソプラノ歌手の(ゲオルギーネ・フォン・)ミリンコヴィッツ、日本では知られてないでしょうか、もうだいぶ前に亡くなっていますが、彼女に言われたのです。「どうしてオルトルートを歌わないの?」と。「オルトルートはとてもいい役で素晴らしく歌える役よ」と。かなり考えて勉強して歌ってみると、本当に私の声に合った良い役で、役柄としては悪者ですが、私はその後長くこの役を歌い続けられました。
それから、『トリスタンとイゾルデ』もそうです。私は長い間ブランゲーネを歌っていましたが、ある日、マエストロ・バレンボイムが「何故イゾルデを歌わないのか?」と聞いてきました。「イゾルデは私は歌えない」と答えたのですが、「そんなことないよ、やってみたら」と言われ、その後4年間、時々は数カ月間も放っておいたこともありましたがイゾルデに取り組み、4年間かかりましたが、やっと自分に確信をもって歌うことができました。日本でも聴いていただきましたね。

――リートでもそのような例はありますか?

マイヤー:"今ならでは"という具体的な例はないのですが......、リートを歌う時は、その歌詞を読み返し、その詩をよく味わってから歌うようにしています。すると、言葉の素晴らしさを再発見できます。そうそう、シューマンの「女の愛と生涯」を最初は私はとてもロマンティックに歌っていました。久しぶりにこの歌を歌った時に、歌詞を読み返し、ただロマンティックに歌うのではなく、もっと現代の女性として歌ってみようと思い、ピアニストのブラインルと一緒に"現代風"解釈で歌ってみて、それは聴衆の方々にも受け入れていただけた手ごたえがありました。

――オペラのレパートリーやリートを選ばれるときの基準は何でしょうか?

マイヤー:まず、自分の声で歌えるかどうか?は、当然の基準ですが、でも、リートでは私の声に合うように移調できることも多いです。オペラの場合は、その人物を私が興味深いと感じるかどうかが大事な基準です。その人物に自分がなり切って演じられるかどうか。善良な人物でなくてもいいのです、例えばオルトルートのような悪役でも。ドイツの諺に「その人の靴を履いてみるまでは、決してその人を評価してはいけない」というのがあります。オペラの中のその人物の靴を自分が履いてみたいかどうか、ということなのです。つまり、その人物になり演じたいかどうか、それが大事です。舞台では、私はその人物になりきって歌い演じています。

――あなたの舞台を見ていると、まさにそう感じます。

マイヤー:そのように私の舞台から感じてくだされば嬉しいです。リートでは、その詩が私の心に響き、共感できることが大事です。


https://www.nbs.or.jp/webmagazine/articles/20221116-04.html
https://www.nbs.or.jp/webmagazine/articles/20221207-03.html