浜崎あゆみの中国コンサートが中国政府の圧力で中止された。浜崎は、無観客の会場で演奏し、中国のファンに謝罪したという。このことに関する、高市支持派の反応が、とてもこわい。
彼は、浜崎の行為が中国政府への抗議であるという、ほかのひとの意見を引用しながら、こう書く。「日本人アーティストとしての誇りであるとともに、楽しみにされていた中国国民に対する浜崎さんとしてのお詫びの気持ちの表し方であると同時に、相手に対する思いやりである日本精神の発露だとも思います!」
これだけ読むと、「こわい話」ではない、と多くのひとは思うだろう。浜崎を称賛したくなるだろう。
私が「こわい」と思うのは、高市支持派が、浜崎の今回の行為を「中国政府への抗議」としか受け止めていないことである。浜崎の抗議は高市にも向けられていることを理解していない点だ。
中国政府が浜崎のコンサートを中止にしたのは、もちろん高市発言に反発したからである。そして、高市支持派は、その高市発言を支持している。高市発言を支持するから、中国政府の行動を批判する、というのは「論理的」である。
だが。
その高市支持派は、日本では、どう振る舞っているか。
「中国人観光客が減ってよかった」「中国人は帰れ」
こういうひとが、どうして中国人と交流をつづけようとする浜崎を「日本人の誇り」と呼べるのだろう。中国人と交流を深めようとするひとは「害国人」ではないのか。
だからこそ、彼は中国訪中を計画している国会議員を「媚中議員」と呼んで批判する動画をシェアしたりしている。訪中を計画している議員が対話する相手は、中国のトップクラス、浜崎が相手にしているのは中国の一般市民だからか。
もしそうなら、中国の一般市民に対して「中国人観光客が減ってよかった」「中国人は帰れ」というのはおかしいだろう。中国政府の決定がどうであれ、中国人観光客(一般市民)は、どうぞ、日本にきて観光を楽しんでください。浜崎あゆみの日本でのコンサートにきてください、というべきだろう。かれは、けっして、そうは言わないだろう。中国人が大勢浜崎あゆみのコンサートに押しかければ批判するだろう。今回、浜崎のコンサートを聞けなかった中国人を浜崎あゆみのコンサートに招待する、というような運動をしようという気持ちも起きないだろう。
テキトウに日本人はすばらしい、と中国人は嫌いだをつかいわけているだけである。
だいたい中国政府と中国人を区別せずに、批判することは間違っている。
中国は共産党政権である。だが、中国人の全てが共産党員ではない。共産党支持者ではない。なかには政権に反対し、活動しているひとたちもいる。
もし中国政府を批判するならば、中国政府と戦っている市民を応援しなければならない。支援しなければならない。どっちつかずのひとには、日本(自由主義の国)はこんなにすばらしいとアピールしなければならない。「中国人は帰れ、日本から出て行け」と言ってはならない。「もっと、きて」と言わなければらならないはずだ。
浜崎あゆみの態度は立派である。わたしも、そう思う。それは彼女が単に、中国政府に「抗議」したただけでなく、その「抗議」が高市政権への「抗議」でもあるからだ。高市が「台湾有事」を持ち出して、中国へ「宣戦布告」をするということがなければ、こういうことが起きなかった。すべての原因は高市発言にある。
彼女は、なにがあっても中国のファント交流する、と宣言したのである。彼女は、中国を「敵」とはみなさない、と宣言したのである。じっさい、わざわざ中国へいってコンサートを開くという計画自体が、彼女の「交流」の姿勢をあらわしている。
中国の人と交流し、中国のことを称賛すると、その人は、高市支持派から「害国人」と呼ばれる。「中国へ行け」とも言われる。浜崎は、そういう日本人がいることを承知した上で、中国でコンサートを中止せざるをえなかったことに対して「謝罪」したのである。
こういう「論理」がまったく理解できない高市支持派の、いい加減な「日本称賛」がとてもこわい。
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ついでに。
中国との貿易が縮小してもかまわない、と高市支持派は言っているが、ほんとうか。彼らは彼ら自身が「対中国貿易」に関係していない、中国と商取引をしていないから、そう思うだけなのである。
日本との貿易が縮小しているすきに、ヨーロッパの諸国、アメリカだって、中国との貿易を拡大する。中国での日本市場は、ヨーロッパやアメリカに取って代わられる。それは単に「対中国」だけの話にとどまらない。中国とヨーロッパの貿易が活発化すれば、日本はヨーロッパでの市場も失う。中国とアメリカの貿易が活発化すればするほど、中国での市場、アメリカでの市場を失う。
ほかの市場を開拓すればいい、と高市支持派は言うだろう。しかし、アフリカも南米もの交流を、日本よりも先に進めているのではないか。