小倉金栄堂の迷子20250912 | 詩はどこにあるか

詩はどこにあるか

詩の感想・批評や映画の感想、美術の感想、政治問題などを思いつくままに書いています。

 「あの手の本はないのか」と聞いている、その声を背中で聞きながら、声の主の姿を想像したことばは、そのときの隠したい心臓の音を聞かれたかもしれない。ことばの耳のそばで血が音を立てている。そう気づいたとき「聞かれたかもしれない」は「聞かれたい」、「聞いてほしい」にかわった。心臓の音よりも、声にならない「聞かれたかもしれない」、「聞いてほしい」、という思いが強くなった。しかし、それはことばの頭のなかで生まれたものではなく、「あの手の本」の棚のとなりの棚にあった本のなかにあったことばである。本のなかでは、詩人が書店の棚の間を歩きながら新しいことばが書かれた本を探していた。同じようなことばの収集家と出くわさないように(つまりほかの詩人に見つからないように)、小さな本屋に隠れるようにやって来て、「あの手の本はないのか」と店員に尋ねているのだが、その声を聞いた瞬間に、先に来ていたことばは、「あの手の本」と呼ばれているものが、いま読んでいる本だと直覚し、どきどきしはじめたのだ。近づいている。店員に教えられて、ことばの背中をみている。近づいてくる。鼓動の音を聞かれるかもしれない、と頭の中でことばを繰りかえしている。