小倉金栄堂の迷子(20250624)
犬論を書いたことばに恋しようとしても、犬論のなかの、鍋にこびりついた味噌汁まじりの飯粒の描写に恋しようとしても。ことばではなく、ことばの向こう側にあるにおいそうな飯粒、その家だけの味噌のにおい、アルミのゆがんだ鍋の方に恋してしまいそうで。
いったい何を書いていたのだろうか。あのとき、ことばはもう二十歳を過ぎていた。(挿入ということばを削除した場合、文体はどうかわるか。声のために窒息することばがある、ということばは、どこに挿入すべきか。)
もっとも感情あふれることばが、何ひとつ感情をもたないことばと向き合い、突然、感情の嘘と物の事実との差に驚き、恋をする。犬論。その瞬間を、詩が生まれる瞬間と断言する大胆さ。なんという気まぐれか。「あの手の本はないのか」。ぶっきらぼうな響きが、共通していた。