フランシス・フォード・コッポラ監督「メガロポリス」(★)(2025年06月23日、ユナイテッドシネマ・キャナルシティ博多、スクリーン12)
監督 フランシス・フォード・コッポラ
壮大な失敗作、というよりも、映画になっていない。
小説ならば、ニューヨークと古代ローマを重ね合わせても、何も問題はない。読者の想像する空間は、読者次第。しかし、映画は違う。映像と音(音楽)は観客の想像力を引っ張っていかないといけない。どこにも魅力的な映像、音楽がない。
「ゴッド・ファザー」の結婚式のシーンは豪華だった。その後、多くの映画があの結婚式をまねた。マフィアの礼服は黒なのに、その黒のなんと華やかなこと。色彩の競演だった。
それが今度の結婚式には、何も見るものがない。「ベンハー」の戦車と、「グラディエーター」の格闘技は、これはもう剽窃にもなっていない。もちろんオマージュにもなっていない。ちゃちな「まねごと」。まねすることは何も悪いことではない。問題は、まねした対象を超えないことなのだ。
たったひとつでもいいから、もし、いいシーンをあげろと言われたら。
そうだなあ。こどもが主人公を銃撃するシーンかなあ。手際が「ゴッドファーザー」のように、さっぱりしていた。「事実」があった。コッポラは「ゴッドファザー」でやめておけば大監督になれたのだ。
「地獄の黙示録」だって、冒頭のヘリコプターのシーン以外は、どうでもいい。
オーソン・ウェールズのように、売れない監督のままだったら、きっと「ゴッドファザー」は永遠に語り継がれるだろう。「メガロポリス」は、見なかったことにしたい映画の一本だ。