クロード・ルルーシュ監督「男と女」(★★★★)
2010-12-18 19:16:48 | 午前十時の映画祭
監督 クロード・ルルーシュ 出演 アヌーク・エーメ、ジャン・ルイ・トランティニャン
この映画で一番好きなシーンは、アヌーク・エーメ、ジャン・ルイ・トランティニャンと子供たちが海岸で遊ぶところだ。走る子供の足に、ジャン・ルイ・トランティニャン足をひっかける。女の子の足にはうまくひっかからず、次にこころみた男の子の足にひっかかる。男の子は当然倒れる。それを抱き起こし、砂を払う――それだけのシーンだが、これがこの映画を象徴している。
一回限り。
男の子はきっと足をひっかけられることを知らないで走っている。このシーンがアドリブか、仕組まれた演出か、どちらであるか分からないが、もう一回撮ることはできない。男の子が警戒する。
一回限り、二度と繰り返さない。それは、映画の撮り方を通り越して、男と女のふたりの関係にもなる。
食事をしながら男が女の椅子の背後に手を伸ばす。指は女の背中に触れるか触れないか、微妙なところで躊躇している。こういうこともその日限りである。
男が女を車で送っていく。ギアを動かした右手を女の膝にもっていく。女は、男の顔を見る。手を見ないで、顔を見て、あれこれ思っている。これも一度限り。次に同じことが起きたとしても、その時女は男の顔を、最初の時のように何分(実際は1分くらい?)も見つめたりはしない。
このときスクリーンには女の顔しか写さないが、男はきっと女の方を見つめていない。手も見つめていない。ただ前を見て運転している。ただし、女に見つめられていることは感じている。
こういうことも一回限りである。男と女の関係においては。
そうなのだ、これは「即興」映画なのだ。脚本があるけれど、その場限りの動きが大切にされている。ストーリーよりも、役者の肉体そのものがそこにある。肉体でストーリーをたどりながら、肉体がストーリーから解放されている。
ただ一回、セックスシーンの、アヌーク・エーメだけは「演技」である。やっとセックスまでたどりつきながら、その最中に死んだ男を思い出してしまう。その、思い出す瞬間、女が眼を開く。思い出してしまって、眼を開く。瞼に浮かんだ思い出を、いま、見えるものでかき消すかのように。
そしてこのシーンだけが、一度ではなく、何度も繰り返される。アヌーク・エーメは何度も何度も眼を開く。
おもしろいなあ。
*
この映画は1966年に作られたということも、評価するときの要素になるかもしれない。自在なカメラワーク、焦点の移動など、その後の映画で採用されたいろいろな手法がつまっている。あ、こんなふうにすればだれでも映画が撮れる――と思わせる手法である。
で、当時は、華麗なカメラワーク、映像の魔術師という風に評価されたと思うが、なんだか、いま見ると美しくない。オリベイラ監督のような、がっしりと動かない映像の方が剛直で美しいと、私には思える。まあ、これは、また時代がかわればかわってしまうことかもしれない。