ラディスラオ・ヴァホダ監督「汚れなき悪戯」(★★★)
2011-04-02 18:38:57 | 午前十時の映画祭
監督 ラディスラオ・ヴァホダ 出演 パブリート・カルボ
見ごたえがあるのは、空。モノクロなのだが、硬くて強烈である。透明になりすぎて、天の底(?)まで見えそうな感じがする。雲の形も、私が日本でなじんでいるのは「うろこ雲」っぽいものだけで、あとは見たことがない。貧しい村の荒れた大地と向き合っているのは、こういう「天」なのだなあ、と思う。
こういう空を毎日見ていたら、この映画のようなことも考えるかもしれない。
さえぎるものが何もない。思っていることが、そのままどこまでも筒抜けである。思ったことは、そのまま「現実」になるのだ。思ったことを、そのまま「現実」にしてしまうのがスペイン人の想像力の過激さかもしれない。
この過激さ、純粋さは、現代では、アルモドバルが引き継いでいる、と言ってしまうと、言いすぎになるかなあ。
私は、強烈な空の透明さを見た瞬間、あ、これはアルモドバルの透明な強さだ、と感じたのだ。
アルモドバルの主人公たちは、思ったことが「筒抜け」である。同じように、修道士たちの言動も、「思ったこと」が筒抜けである。マルセリーノには家庭が必要である。母親が必要である。でも、かわいいから自分たちで育てたい。そう思っている、その思いはスクリーンからはみ出して、観客に伝わる。
まあ、マルセリーノを演じた子供がかわいいということもあるのだろうけれど。
なんだかむちゃくちゃな映画である――というと「奇跡」を信じているキリスト教徒に叱られそうだが、しかしねえ、これはやっぱり、この映画の風土が生み出した特別なものだね。あの、「絶対透明」に到達した空が生み出したものだね。「天国」は花で満ちているかどうかわからないが、透明さでみちているんだろうなあ。マルセリーノの瞳のように。
(「午前10時の映画祭」青シリーズ9本目、天神東宝3、03月19日)