円谷英二特撮監督、多猪四郎監督「モスラ」(★★★★) | 詩はどこにあるか

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円谷英二特撮監督、多猪四郎監督「モスラ」(★★★★)(2021年1 2 月2 6 日、中州大洋スクリーン1)

特撮監督 円谷英二  監督 本多猪四郎 出演 ザ・ピーナツ

 日常では見ることのできないものを見たい。これが映画を見る欲望だとすれば、映画をつくる人の欲望も日常では見ることのできないものを見せたい、だろう。その欲望で動いている作品。だから、どんなとんでもないことでも許せる。ここでいう「とんでもないこと」というのは、奇妙な外国人興行師のことである。これを批判していたら、映画にならない。
 さて、見どころは。
 やっぱりモスラの三段階の変化。幼虫、繭、蛾。これを全部描いている。いきなり蛾ではなく、幼虫からスタートする。虫が太平洋を泳いでくるなんて傑作だなあ。だれが思いついたのだろう。動きのない繭には東京タワーというアイコン。いいなあ。もし東京タワーが日本になかったら、モスラは生まれなかった。東京タワーがあるから、東京があり、だからこそモスラはやってきた。いや、ほんとうの理由(ストーリー)はもちろん違うけれど、円谷英二は東京タワーがなければこの映画の特撮を担当しなかっただろうと、私は思う。東京タワーで繭をつくるためには、その前は幼虫でなくてはならない。きっと発想が東京タワーの繭から始まっていると思う。
 怪獣が都市を破壊する。そのとき都市とはどういう都市であってもいいというわけではない。ランドマークを見たら、その瞬間、これはこの都市と分かるものでないといけない。これはまあ、「キングコング」のエンパイアステートビルみたいなものかもしれないけれど、いやあ、東京タワーがあってよかったなあ。皇居や国会議事堂でもいいのかもしれないが、皇居、国会議事堂なんて、行ったことのある人は少ない。東京タワーも、行ったことがある人は少ないかもしれないが、遠くからでも見える。わかる。行ったことがない人にも、すぐわかる。こういうランドマークがないと、怪獣が都市を破壊しても、ぜんぜんおもしろくない。
 円谷英二は、こういうすごく単純なことを、非常によく理解していたのだと思う。
 で。
 その東京タワーの対極が、ザ・ピーナツ。身長30センチという設定。これじゃあ、見逃すよ。いたとしても「人形」としか思えない。それが歌を歌う。さらにテレパシーをつかう。テレパシーはザ・ピーナツ以上に「見えない」。この「見えない」という存在が、見えるものをいっそうくっきりとさせる。そういう構造になっている。見えないテレパシーを遮断するということを「見える」ようにする変な遮蔽檻なんて、傑作だなあ。どこまでも、映画は「見る」ものということに、こだわっている。
 ザ・ピーナツが歌う「モスラ」の歌も大好きだなあ。「モスラー、ヤッ、モスラー」という歌いだし以外は何もわからないカタカナの音がつづくだけだけれど。このわけのわからないところが、実に楽しい。あのころは、どっちがどっちかわからないけれど、つけ黒子をつけて、区別のつかなさを強調していた。そういう「細かい」ところも好きだなあ。
 ピンクレディーが全盛期のときに、ぜひ、リメイクしてほしかったなあ。