スタンリー・キューブリック監督「シャイニング北米公開版〈デジタル・リマスター版〉」(★★★★★)(2021年07月25日、中洲大洋、スクリーン1=午前10時の映画祭)
監督 スタンリー・キューブリック 出演 ジャック・ニコルソン、シェリー・デュバル
この映画は、冒頭のシーンの「気持ち悪さ」に圧倒される。いまでは空からの撮影でも画面がそんなに揺れないが、この映画つくられた当時はそうではなかった。まるでカメラ自体が飛んでいるような、そして自分が目になって飛んでいるような気分になる。しかも、それは私が望んでそれを見ているのではなく、何か強制的に見せられている感じがするのである。不安定に揺れる映像なら、これはだれかが撮ってきた映像という感じがするのだが、そういう感じがしない。強制的に見せられていると書いたが、その見せられているは、なんというか、私自身の網膜を操作されて、目の奥から別の世界を覗かされているという感じだ。この、揺れない空中からの映像は知っていたし、いまはそういうシーンも珍しくないから「気持ち悪い」感じはしないかと思っていたが、30年ぶり(?)に見たいまの方が「気持ち悪い」。ぞっとする。異界へするすると滑り込んでいく感じがする。美しすぎて、どうにもなじめないのである。視神経が目を飛び出して世界へ入っていく。しかもその世界は目で見る世界よりもはるかに美しい。映像酔いしそうである。
少年が自転車と車がいっしょになったようなもので走り回るシーンの映像の方が、この冒頭の映像よりも有名だけれど、私は、「気持ち悪さ」ではやはり冒頭のシーンがすごいと思う。このシーンの後では、ホテルの廊下の映像は、私はそんなには驚かない。
それに比べるとクライマックスの迷路の逃走シーンは、いまひとつ恐怖心を刺戟しない。逃げる少年。追いかけるジャック・ニコルソン。ふたりの体が揺れる。それはあまりにも肉体的である。ジャック・ニコルソンは足を怪我していて、体が揺れる。その揺れがさらに肉体を刺戟して、「映像」に目ではなく、肉体の方が反応してしまう。冒頭のシーン、廊下のシーンでは、私の肉体ではなく、ただ目(視神経)だけが刺戟される。だから、不気味で、怖いのだ。目が、先に現実(事実)を見てしまい、それが肉体に働きかけてくる何か。肉体を動かさないのに、目が何かを追いかけている。しかも、絶対的な確かさ(揺れない)で追いかけている。
ということから、この映画を見直してみると……。
少年のなかには、もうひとりの少年がいる。その少年は、少年の肉体を通して、少年に見えるはずのないものを見せる。その「見た」ものが「ことば」を通して語られるけれど、「レッドラム」だけは「文字」が鏡文字になってあらわれ、それが鏡に映って「マーダー」にかわり、母親に意味がはっきりつたわる。「視力の感知能力」によって、少年が動かされているのがわかる。大人たち(ジャック・ニコルソンやシェリー・デュバル)が「ことば」によって「現実」を理解している(「過去」を把握している)のに対して、少年はなによりも「視力」で「現実」の向こう側まで見ている。認識している。ふつうの人間を超える「絶対的視力」のようなもので、現実を見ている。
少年が出会う少女が二人(双子?)というのも、「視力認識の二重性」と関係があるのかも。あの少女がひとりだったら、たぶん、この映画の恐怖は半分に減る。少年が自分の「二重性」を生きているように、少女たちは「ふたり」で「ひとり」を生きている。少年と少女たちのあいだには、「視力の親和性」のようなものが動いている。少年はあの二人と一体になる、つまり殺され「遺体」という同じ、一つの「意味」になるという予感が生まれ、その予感が恐怖をあおる。
今回見た「北米公開版〈デジタル・リマスター版〉」で、ひとつ疑問。「レッドラム」ということばを少年が最初に発するシーンは、私の記憶では「食卓」だった。食卓でないにしても、食べ物が関係するシーンだった。だから、私は「レッドラム」を「赤いラム」と思い込んでいた。ほかの人たちも、そう思っていたと思う。それが「鏡文字」が鏡に映ることで「マーダー」に変わったとき、衝撃が大きくなる。「北米公開版」では、少年が最初に「レッドラム」と呟くのは食卓ではない。少年がひとりでつぶやき、そばに聞き手がいない。だから「レッドラム」が「マーダー」にかわる衝撃が、日本公開版にくらべて小さい。これは、私の記憶違いかな? 「鏡文字」の瞬間を心待ちにしていたが、そんなに驚かなかったのは、私がストーリーを知っているから? しかし、私はストーリーを知っていても、クライマックスには、いつでもどきどきする。
たとえば、「暗くなるまで待って」では、冷蔵庫の扉を開けると明りが広がるシーン。「ターミネーター」では腕だけになったターミネーターが追いかけてくるシーン。私は、そういうシーンで興奮して笑ってしまうので、周囲のひとから迷惑がられるのだけれど、今回は笑いの衝動が起きなかった。
日本公開版の方が好きだな。