高貝弘也『紙背の子』 | 詩はどこにあるか

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そこに、透かし入り

かみのよの

(……かみのよの、)

浅いあかみの黄色


 「かみのよ」とは何か。「神の世」「紙の世」「紙のよ(う)」。「透かし」とは存在を主張するのか、存在を否定するのか。「ある」のなか「ない」のか。ことばは、「意味」に直結しない。「意味」は揺さぶられる。
 「浅いあかみの黄色」という一行にも「かみ」は紛れ込んでいる。
 「かみのよの」と書いたあと、「(……かみのよの、)」と言い直す。そのときの括弧、……、読点は何か。声にならない意識。声にならないけれど、存在している。
 でも、それが「表記」として出現してくるということは、どういうことなのか。「表現」に変わるのは、なぜなのか。
 欲望があるのだ。
 それは高貝の欲望か、それとも「ことば」の欲望か。「ことばの欲望」に高貝が反応しているのか、高会の欲望を「表記されたことば」が反映しているのか。
 これは、よくわからない。
 ただ、ことばが「呼び掛け合っている」ということだけが、私の印象として残る。それは「かみ」(神/紙)という「意味」の二重性を超えて、もっと複雑になる。というか、この「かみ」は「あかみ」ということばのなかへ動いていったときから、「意味」を失い、「音」そのものとして響き始める。


さしかわし そのあと、揺れあう
紙背の子と
裏の水 もののすみ


 「あかみ」の「か」は「さしかわし」の「か」へ動き、「さしかわし」ということばのなかの「さ行」の音は「紙背」と響きあう。
 それこそ「紙の裏側(書かれていることばの裏側)」にあるものと響きあう。
 高貝の場合、その「裏にあるもの」(そのままでは見えないもの、意識できないもの)とは「音」なのだと私は感じている。 
「裏の水 もののすみ、」には「の」の繰り返しがあり「水」と「すみ」は音が逆転しながら(裏返りながら)重なり合う。まるで「透かし」のように、と私は一行目に出てきたことばを借りながら思うのだ。


--さようなら

とけこむかげから
かみの、きれはしを
ひかりのなかで


 ふいに転調したあと、ここでは「か行」が交錯する。「か」の音がくりかえされる。その「か」を少し響かせ、最終連は、


あの かげの
あわいひの、
浅い さみしいあさみどりよ


 「あの」「あわい」「浅い」。ふと漏れてしまう「あ」に導かれ、違う音にかわる。「さ行」にかわる。
 「浅い さみしいあさみどりよ」。「あさ」の繰り返し。「あさみどり」のなかには「あさいみどり」が隠れている。逸脱した「い」が「あさ」と「みどり」をさらに強く結びつける。「さみしい」の「み」の音も、非常に美しく感じられる。

 さて。

 何が書いてあったのか。「透かし」の入った「紙」を逆光で透かしてみたとき、動いたことばを、透かしの繊細さと響きあわせる形でととのえたということかもしれない。
 息継ぎとか、無言とか。いわば「肉体」の調子のようなものも反映させることで、その繊細さを強調している。繊細さを高貝の存在と重ねるように提示する。
 これをととのえなおして言えば「批評」になるかもしれないが、そうしてしまうことに、私はためらいを覚える。「結論」のようなものを書いてはいけない、と感じる。
 だから、こう言い直す。
 「浅いあかみの黄色」の「あかみ」ということば、そこから「さしかわし」ということばへ変化する響き。「裏の水 もののすみ」という行、「浅い さみしいあさみどりよ」の音の美しさが、私の「肉体」に響いた、と。








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