なぜいまのぼくが声長く呼ぶのか
時のすぎさつているぼくがどう答えられるか
「昔」と「いま」を「長い」ということばが結ぶ。「長廊下」「声長く」。「昔」と「いま」はしたがって「長く」隔たっている。「長い時間」が横たわっている。
でも、そこには「廊下」があるのだ。はっきりした「つながり」がある。そして重要なのは「つながり」ではなく「はっきりした」という隠された意味だろう。
「どう答えられるか」。疑問形で書かれているが、嵯峨は答えを知っている。だから、詩を書いている。「どう答えられるか」が、答え方なのだ。「どう」が答えなのだ。
だから、こう繰り返す。
本当の姿を追う夢のさびしさを
どう説明したらいいのか
*
詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
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