嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(93) | 詩はどこにあるか

詩はどこにあるか

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* (歌の彼方の長廊下をいそぐ昔のぼくを)

なぜいまのぼくが声長く呼ぶのか
時のすぎさつているぼくがどう答えられるか

 「昔」と「いま」を「長い」ということばが結ぶ。「長廊下」「声長く」。「昔」と「いま」はしたがって「長く」隔たっている。「長い時間」が横たわっている。
 でも、そこには「廊下」があるのだ。はっきりした「つながり」がある。そして重要なのは「つながり」ではなく「はっきりした」という隠された意味だろう。
 「どう答えられるか」。疑問形で書かれているが、嵯峨は答えを知っている。だから、詩を書いている。「どう答えられるか」が、答え方なのだ。「どう」が答えなのだ。
 だから、こう繰り返す。

本当の姿を追う夢のさびしさを
どう説明したらいいのか




*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
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