嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(90) | 詩はどこにあるか

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* (秋の葉を一枚一枚縫うようにして)

ぼくに何を教えようというのか
わたしは人生にうとい

 「ぼく」が次の行で「わたし」にかわる。そして、この「うとい」は次の行で、こう言い直されている。

樫の大木に蝶たちが疎いように

 「疎い」の主語は、蝶。蝶が「わたし」であり、「人生」は「樫の大木」である。単なる樫ではなく「大木」。
 これは「秋の葉」の「一枚」に対応している。
 一枚の葉と大木は関係はあるが、その関係に「自覚」があるかどうかは、わからない。たぶん「うとい/疎い」とは自覚のことなのだ。その「自覚のうとさ/疎さ」が「ぼく」と「わたし」という呼称のずれのようなものに象徴されているということか。





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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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