イ・ウォンテ監督「悪人伝」(★★★★★+★★★★★+★★★★★)
監督 イ・ウォンテ 出演 マ・ドンソク、キム・ムヨル、キム・ソンギュ
これは、もうわくわく度がとまらない大傑作。
何が傑作の理由かといって……。
チラシに、こう書いてある。
極悪組長×暴力刑事vs無差別殺人鬼
さて、あなたがこの映画の出演依頼を受けたとしたら、だれを演じたいですか? この「問い」にどう答えるべきか考えると、傑作の理由がわかる。
映画でも小説でも、それが「傑作」であると感じるのは、自分を主人公に重ねて、主人公のこころの動き(行動)に心酔するからだ。こんな風に生きたい。こんな風に言ってみたい。
さて、「これが私の夢の生き方だ」と、言いたいのはだれ?
見終わっても、「答え」が見つからない。
社会の常識からいえば、まあ、刑事がいちばん無難。暴力刑事ではあるけれど、社会のために働いている。他人から「後ろ指」さされることもない。与えられた仕事をするだけではなく、「正義感」もある。その「正義感」から暴走するのだけれど、この手の刑事はいままでも映画で描かれてきたしなあ。
それに、この暴力刑事が魅力的なのは、極悪組長と無差別殺人鬼がいてこそなのだ。どちらかひとりでは、そんなにおもしろくない。平凡。そう考えると、「主役」じゃないよね。
タイトルからわかるように、主役は極悪組長。彼は無差別殺人鬼に襲われ、重傷を負う。面子が丸つぶれ。だから加害者を探し、仕返しがしたい。仕返ししたということを、みんなに示したい。そのために刑事と手を組んで、「捜査情報」をたよりに無差別殺人鬼を追いかける。
ストーリーとしては、この暴力刑事と極悪組長が手を組むというところにおもしろさの秘密があるのだが、それを支える(?)のが無差別殺人鬼。彼次第では、単なるストーリーになる。なぞというか、殺人鬼の「快感」を体現しなくてはいけない。殺したいと思うことと、実際に殺すこととの間には大きな隔たりがあるのだけれど、その隔たりを感じさせず、接着剤のようにして「快感」がないといけない。「憎しみ」ではなく「快感」。人間として許されることではないのだが、だからこそ、映画なら、そんな「人生」も体験してみたいと思うでしょ?
だから、たとえば。
クライマックス。屋上にいるところを見つかり、走って逃げる。そのあとカーチェイスが始まる。結末はわかっている(想像がつく)にもかかわらず、殺人鬼に対して、「逃げろ、逃げろ、逃げ抜け」と私は応援してしまう。これって、「反正義」の感覚だよなあ。「逃げろ、逃げろ」と応援しながら、わくわくする。追跡の途中で刑事の車と組長の車が衝突すると、「やったぜ」と思ったりする。
その一方で、刑事の車と組長の車が協力して殺人鬼を追い詰めるのを期待している。
矛盾しているねえ。
でも、こういう「矛盾」した感覚を引き起こすというのが、「傑作」の基本。
どうせ、映画なんだから。
自分が現実には体験できないことを、リアルに感じたい。
で。
自分の現実で、いちばん実現(実行)できないのは、どっち?
極悪組長? 暴力刑事? 無差別殺人鬼?
全部できないから、全部やってみたい。
この映画は、荒唐無稽であるだけではなく、細部が非常に綿密。法廷で展開される証言につかわれる「メモ」。その「主語」を破り捨てて、目的語、述語の部分だけを利用するというところなど、うなってしまう。いや、叫んでしまう。
「うまい!」
脚本が、完璧。
でも、なんといっても、この映画はマ・ドンソクの演技につきるかなあ。
極悪組長とはいっても、この丸顔、しまりのない唇、憂いを含んだ(?)目つき。矛盾した愛嬌というか、かわいらしさがある。それを隠しながら「極悪」を生きているのだが、ときどき「憎しみ」ではなく「よろこび」をあらわす瞬間があり、そのときの表情がいい。
暴力刑事が部下を殴りつけるとき、「おまえ、やるじゃないか」という表情をしたりする。最後の最後には、刑務所に収監されるのだが、その刑務所に殺人鬼がいるのをみつけ、「ここにいたか、待ってろよ」という感じで、にやりと笑う。いや実際に「にやり」までいかない。「にやり」を隠して、相手を見据える。
こんなこと、私はしたことがない。
だから、やってみたい。
映画なんだから。
(KBCシネマ、スクリーン1、2020年07月26日)
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