さすが読売(陸上イージス、その3) | 詩はどこにあるか

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さすが読売(陸上イージス、その3)
       自民党憲法改正草案を読む/番外364(情報の読み方)

 2020年06月20日の読売新聞(西部版・14版)の1面と2面。陸上イージス停止の「舞台裏」が「検証」というタイトルで書かれている。
 1面の見出し。

改修 防衛範囲1/3に

 山口に配備される予定だった陸上イージスのブースターを演習場内に落下させるように改修すると、

防衛範囲が3分の1に狭まり、本州西部、九州、沖縄という元の範囲から本州西部などが外れてしまうことが決断の決め手となった。

 つまり、大阪、京都や名古屋あたりを守れないということなのだが、これだけを読むと「日本の防衛」を真剣に考えている気がする。そう感じさせるために、1面には、こういうことが書いてあるのである。
 2面にはそのつづきが書いてある。

配備停止 根回しなく/河野防衛相、成果狙う

 費用対効果が低い。だから1面の「事実(改修すれば防衛範囲1/3に狭まる)」を踏まえて、「行革」に熱心な河野が「白紙撤回」へ動いた、というのである。ここでは、読売新聞は河野を持ち上げている。

「だまされたという思いはあるが、米国の当初の説明をうのみにしてしまった」

 という防衛省幹部の談話まで掲載している。悪いのはアメリカだ、と言いたいらしい。
 でも、河野だけで、これを決定できる? ほんとうに「根回し」がなかった? アメリカが陸上イージスを売れなくなったことで被る損失(?)は額にすると少ないという意見もほかのところで読んだが、どうかなあ。売れるはずのものが売れなくなって、「わかりました」と簡単にアメリカが、ビジネスマンのトランプが引き下がるだろうか。
 そんな疑問を解消してくるのが、次の部分だ。安倍と「親しい」読売新聞にしか書けない部分だ。(他紙を読んでいないのでわからないが、こんなことを書いてあるのは読売新聞だけだろう。番号は、私がつけた。)

 ①実は、首相も以前から、以前からイージスショアの費用対効果を疑問視するようになっていた。②配備計画が地元の反対で停滞する中、③周辺には「新しいミサイルの登場で『盾』だけでは限界がある。矛を持たないとダメだ」と語っていた。
 ④首相は、河野氏が主導した今回の配備手続き停止を、ミサイル対処のあり方を一から見直し、持論の敵基地攻撃能力の保有を議論する機会にしようと考えたとみられる。

 ①は「費用対効果」に安倍も配慮しているという「持ち上げ」である。「実は」という「飾りことば」まで書かれている。安倍の方が真剣に「費用対効果(予算)」のことを心配していると言いたいらしい。しかし、費用対効果を真剣に考えるなら②の「地元の反対」は関係ないだろう。論理が、奇妙にねじれている。本質は③にある。「矛を持たないとダメだ」。
 これをていねいに④で言い直している。陸上イージスでは「防衛」しかできない。「攻撃」ができない。そんな役に立たないものに金を使うな。費用対効果を考えろ、というわけである。
 これを言い直すと、陸上イージスはやめて、敵基地を攻撃できるミサイルを配備しよう、ということである。
 これなら、アメリカも納得する。
 「陸上イージスはやめて、敵基地を攻撃できるミサイルを配備する」というのは、ミサイルをアメリカから購入するということだからだ。
 「根回しなく」と読売新聞は見出しに書いてあるが、逆なのだ。アメリカに対する「根回し」はそこまで進んでいる。アメリカでの根回しは終わったのだ。「ミサイルを買います」とこっそり約束したのだ。だから、平然として「陸上イージス停止」と発表できたのだ。
 アメリカ側の反応(武器が売れない不満、世界戦略がどうなるかという不安)が報道されないのは、もうミサイルが売れる、世界戦略はより強固になるとアメリカが「安心」しているからだ。アメリカでは、そういうことは「周知の事実」なのだ。日本人が知らないだけなのだ。

 私が傑作だと思うのは、こういうことを読売新聞が書いてしまうことだ。
 書いた本人は、自分はここまで安倍の意図をつかんでいる(安倍と親密な関係にある)ということを言いたいのかもしれないが、ちょっと「忖度」を働かせれば、いま、こういうことを書いたら安倍批判が噴出すると予測しないことだ。朝日新聞なら、同じことを把握していたとしても、こういう書き方はしないだろう。
 「政治」の裏事情をのぞきみるには、読売新聞の記事は、とてもおもしろい。

 まあ、アメリカとミサイル購入の密約ができているというのは、私の「憶測/推測/妄想」かもしれないけれどね。