だれが命令したのか。(その2) | 詩はどこにあるか

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ブルーインパルスの続報が「日刊スポーツ」に載っている。
https://www.nikkansports.com/general/news/202005300000402.html?fbclid=IwAR1OBgmMDU9_mx-3tD1IsznNu-hGdqFjMZG783UVp2K7SzNZM7yqHVN03XQ

「プロセスはどうでもいいだろうと思う」
フライトを直前に控えた当日の記者会見。河野太郎防衛相は概要や趣旨を説明する傍ら、誰が発案したのか問われると、こうはぐらかした。丸茂吉成航空幕僚長も飛行後の記者会見で「飛行することが重要で、プロセスは控えたい」と述べた。
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これは大問題だろう。
動いたのは自衛隊の飛行機である。軍用機である。
指揮系統がどうなっているか、だれが飛行を命令したのかは「どうでもいい」ことではない。
「どうでもいい」と発言した段階で、河野は憲法違反をしている。
丸も同じだ。もし、命令したのが丸ならば、軍の暴走である。丸は、それを実行したことになる。

また、もうひとつ論理的な問題がある。
「プロセスはどうでもいい」(だれが命令したかはどうでもいい)という人は、「目的」と「結果」が大事なのだといいたいのだと思う。
「新型コロナウイルス対応に当たる医療従事者への感謝と敬意を示す」ということが「目的」であり、それが大事だといいたいのだと思う。
だが「目的」とか「大事」というのは、あとから付け足すことができるし、変更もできる。
つまり、最初の「目的」は、安倍が自衛隊を指揮する(安倍が自衛隊に命令を出し、それを安倍が実行する)ことで、安倍が「自分は最高の責任者だと実感する」ということだったかもしれない。
ところが批判が高まったので、「新型コロナウイルス対応に当たる医療従事者への感謝と敬意を示す」という「目的」に変更することができる。
今回の場合、日刊スポーツによると、「フライトを直前に控えた当日の記者会見」で河野が「プロセスはどうでもいいだろうと思う」で語ると同時に「概要や趣旨」を説明しているから、私の書いてるような「後出しじゃんけん」のによる「目的の変更」ではないが、ほんとうに「後出しじゃんけん」でないかどうかは、疑問が残る。
つまり①安倍がブルーインパルスに飛行命令を出したい(自分に自衛隊が指揮できることを実感したい。指揮することで国民に最高責任者である、と宣伝したい)と言う。
②だれかが、ブルーインパルスを飛ばすには、もっと別な「理由(目的)」が必要であると指摘する。
③コロナが終息しつつある。国民を健康を支えた医療関係者に対して感謝するという「目的」にすればいい、と提言すする。(そうすれば、安倍への評価も高まる、と提言する)
ということだったかもしれない。
ただし、その「議論のプロセス」を記録した「議事録」は存在しない。
で、もし、そうだとすると、ここから、いま日本で起きていることの「すべて」が見えてくる。
あらゆることが「安倍の独断」で決定する。
「議事録」は残さない。「議事録」を残さないことで、あらゆる行動の「目的」は「後出しじゃんけん」のように、国民の反応をみてから「変更する」ということが起きる。
安倍の都合が悪くなれば、安倍は「ぼくちゃん何も知らない。決めたのはぼくちゃんじゃない」と言い逃れる。
こういうことが「軍隊(自衛隊)」に関しても起きている。

これが「戦争」につながらない、とだれが言えるだろうか。「軍隊の暴走」につながらないと、だれが言えるだろうか。
ブルーインパルスではなく、戦闘機が隊列を組んで、中国・武漢の上空を飛ぶ。
「目的」はコロナウィルスを封じ込めることに最初に成功した中国の医療チームに感謝と敬意をあらわすためである。
戦闘機にしたのは、もし中国から攻撃を受けた場合、応戦する必要があるからである。
奇妙な「論理」、中国からは絶対に受け入れてもらえない「理由/目的」だが、こういう非常識な「論理」がなりたってしまうのが「後出しじゃんけんの論理」なのである。
「言い逃れの論理」なのである。

私は、きのうのブログを、「日刊スポーツ」に書かれていることを知らずに書いたが、「日刊スポーツ」を読む限り、多くの記者がプルーインパルスの飛行を前に、問題点を認識していたことになる。
しかし、その「認識」は飛行を報道する30日の朝刊(私が読んだのは毎日新聞と西日本新聞だったと記憶している)には載っていなかった。(読売新聞・西部版には掲載されていなかった。)
新聞は、すでに記者が疑問に思ったことを記事にするという視点を失ってしまっている。
このことにも私は、失望するし、非常に驚いている。