別れ
馬車の中の女の顔は
手紙のなかの言葉をおもいだしているようだ
「中」と「なか」を嵯峨はつかいわけているのか。
「中/なか」は「中心/焦点」でもある。つまり、「周辺」というものがある。それが、このことばの運動の「味」だ。
嵯峨は女を見ているのではない。馬車の中の女、女の中の顔を見ている。視点の移動がある。
同じように、女は手紙を思い出しているのではなく、手紙のなかの言葉を思い出している。意識が移動して行っている。
「外へ」ではなく「中/なかへ」。
この移動の重なりが、嵯峨と女を結びつけている。結びついている瞬間があるから「別れ」もある。
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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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