どうして「時」を残していったのか
おまえの影をさむざむと宿している時を
「記憶」を「時」と言い直しているのか。
しかし「時」は過ぎ去る。
そうであるなら、この「時」は「未来」である。未来が「さむざむ」とするのである。どこまでもどこまでも、「未来」であるかぎり「さむざむ」とする。
逆に言えば「時」は過ぎ去らない。「未来」もない。あるのは「さむざむ」とする「いま」だけが永遠に続く。
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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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