それだけのものだが
ぼくは籠の中に見知らぬ花をいれる
息を切らしている小さな花を
あざむかれた昨日の花を
「見知らぬ花」。しかし、それが「息を切らしている」ことがわかる。花の肉体に、嵯峨の肉体が同調する。
道にうずくまる人がいる。そうすると「腹が痛いのだろう」と感じる。腹が痛いとき、腹を抱えてうずくまった経験が肉体の中に残っているからである。おぼえているからである。肉体は体験したことを忘れない。
「息を切らしている」は「あざむかれた」ということばに変わる。「息を切らす」には原因がある。花の場合は「走る」ということはない。肉体を激しく動かすわけではない。しかし、肉体が動かないときでも、意識、感情は動く。動き回り、動き疲れて、「息を切らす」。
花は「女」であるかもしれないし、未熟な「少年」(嵯峨の記憶)であるかもしれない。
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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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