箕島
わたしの血のなかに明るい寺が建てられた
ちかくを子供たちが歌ひながら通る
「体のなか」ではなく、あるいは「肉のなか」でもなく、「血のなか」。
このとき、その寺は「血の流れ」にそって動いてくのか。「血の流れ」に逆らって、同じ場所にとどまっているのか。
子供たちが近くを通るというのだから、寺は動かずにいるのかもしれないが、その子供たちが「通る」というときの動詞が、不思議に、私に反映してくる。
もちろん「通る」は「血が通る」と読めるのだが、私は寺が「通る」(動く)と読みたくなる。子供たちといっしょに、歌いながらどこかへ行ってしまう。
幼いときの「遊び場」、寺や神社の境内というのは、いつも記憶のなかにあらわれる。そのあらわれるときのスピードは「血」と同じように、動いているのに動いているとは意識しない何かだ。
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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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