嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(6) | 詩はどこにあるか

詩はどこにあるか

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塔の中の神

塔の中にゐるおまへの世界の話だ
その安全は神にとどいてゐる垂直にあるやうだ

 「塔」は「垂直」に立っている。したがって「塔の中の世界」とは「垂直な世界」ということになる。広さではなく、高さの世界。
 そして、この詩ではその「垂直」が「とどく」という動詞と一緒に動いている。
 「神」に「とどく」と「垂直」を組み合わせると、「神」の居場所は「塔の上」ということになる。簡単に言い直すと「天」(とどかない高さ)にいるのが「神」だ。
 「神」と「天」の組み合わせは「思考の定型」だが、それはどうも納得がいかない。
 「神」が「天」ではなく、すぐ隣にいてもいいし、また遥かな地平線のかなたにいてもいいかもしれない。いや、どこにもいなくてもいいかもしれない。
 私は、どこにもいなくていいと考えるので、神の存在場所としての「天=垂直のかなた」というものに疑問を持つのだろうか。「塔」が自己を「垂直」の方向に育てていくための比喩であると考えるとき、その先に「神」が存在すると考えるのは、私には自己と神の一体化、同一視のようにも感じられ、異議を差し挟みたくなる。




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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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