嵯峨信之『小詩無辺』(1994)を読む(55) | 詩はどこにあるか

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観音経

はてもなく青い 輝いている大きな海

 「はてもなく」は「はてもなく大きな海」へとつづけて読むこともできるが、書かれている通り「はてもなく青い」と読みたい。「青」に果てがない、とはどういうことか。「透明感」のある青、透明感に果てがない、青なのに青の向こうに何かが見えるのか。それとも「青」で覆い尽くされて青以外の何も見えないのか。
 「輝いている」ということばにつながるところみると「透明感」に果てがないということだろう。透明なものは光をとおすと同時に光を反射させる。輝く。
 しかし、私は「青」以外の何も存在しない「拒絶」として読みたい。
 私は一度だけ、そういう「拒絶する青(群青)」の空を見たことがある。中学生のときである。吹雪のなかでスキー遊びをしていた。突然空が晴れ上がった。どこまでもただ「青」だけである。宇宙の果てが目の前に姿をあらわした、と思った。
 嵯峨が書いていることとは矛盾するというか、相いれないのだが、人間を絶対に受け入れない宇宙/自然の拒絶があるから、生きている、ということに意味があるのだと、直感した。





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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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