嵯峨信之『小詩無辺』(1994)を読む(52) | 詩はどこにあるか

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ふるさと

ぼくは大きな白いキャンバスを抱えて
むかしの中央通りを通つていつた

 これは帰郷したときの様子と読むのが一般的だろう。「むかし」と書いてあるから、「むかし」を思い出している。
 だが、私は「過去」のこととして読みたい。
 「むかし」、その中央通りを白いキャンバスを持って歩いた。それは、「いま」を描くためではなく「むかし」(思い出)を描くためである。まだ若かった嵯峨が、やがてみるであろう「むかし」を描くために。
 「いま」と「むかし」は、そうやって交錯する。「いまのぼく」が思い出の(むかしの)通りを歩くのではなく、「むかしのぼく」が「いまの通り」を歩く。そのとき描くのは「むかしの通り」であり、それは「思い出」と呼ぶよりは、「現実」、いや「切実」である。「かなしさ」とか「さびしさ」と呼びたい何かである。それが「ふるさと」だ。




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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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