嵯峨信之『小詩無辺』(1994)を読む(51) | 詩はどこにあるか

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永遠とは何か

人間も
言葉もはてしなくむなしい
そして〈永遠〉という言葉の意味はいまもつてわからない

 「はてしなく(はてしない)」ということばに私はつまずく。「はなしない」は「永遠」に通じるものがあると思う。けれど嵯峨はそれを否定して「むなしい」と結びつける。このとき「むなしい」と「永遠」ははっきり違うものとしてあらわれてくる。「永遠」とは「むなしく」ないものなのだ。たとえば「充実」。
 もうひとつ「意味」ということばにもつまずく。「意味」がわからない。そう感じるとき、嵯峨は充実しているか。むしろ「むなしい」のではないか。「はてしなくむなしい」と言い換えることができる。
 ここにも「矛盾」のようなものがある。
 「虚無(むなしさ)」の「永遠」というものも、どこかに存在するはずだ。実際、この詩そのものが、「虚無の永遠/永遠の虚無」を表現していないだろうか。