魂しいの内側をすべつて
夜明けは
魂しいの外側から明るくなつてくる
「魂しい」ということばを「肉体」ととらえれば、この詩は、ごくふつうの体験を書いているように思える。朝、太陽が射してくる。目がさめる。外は明るく、夢は肉体の闇のなかへ隠れていく。
しかし、それではおもしろくない。
「夢」と「夜明け」、「内側」と「外側」を入れ替えて読んでみる。
「夜明けの明るさ」の方が「肉体の内側(魂しい)」に射しこむ。それに誘われるようにして「肉体の外側」に夢があふれ、「肉体(魂しい)」をつつむ。
そうすると、詩は、希望の声になる。
嵯峨が書こうとしているのは「希望」ではなく、一種の「失望(喪失)」なのだが、絶対的な「絶望」は感じられない。だから、私は「絶望」の対極にあるものを夢想する。
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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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