嵯峨信之『小詩無辺』(1994)を読む(21) | 詩はどこにあるか

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* (去るということのなかへ)

遠くまで渚はつづき
たえず大きな浪が小さな浪をとらえて沖へつれ去つている

 「つれ去つていく」ではなく「つれ去つている」。英語で言えば「現在進行形」だろうか。「いま」が「いま」のまま拡大していく。
 「いま」を共有している。
 だが、そのとき嵯峨は「大きな浪」として「いま」を共有しているのか、「小さな浪」として共有しているのか。
 私は後者と読む。そして、そこに抵抗を感じる。「去る」のではなく、「いま」ここに、たえず「ここ」にいる「いま」ということろから世界を見つめている。







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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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『誤読』販売のページ
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