嵯峨信之『小詩無辺』(1994)を読む(16 ) | 詩はどこにあるか

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白昼の街

夜を
もつと大きな夜を探していると
闇のなかに自らを失う

 「白昼の街」なのに「夜」を探す。「自らを失う」と書いているが、これは過去形ととらえた方がいいだろう。夜、もっと大きな夜を探した。そして自らを失ったという「記憶」をかかえて、いま嵯峨は白昼の街にいる。
 さて。
 「もっと大きな夜」は、どこにあるのか。「夜のなか」にある。それは「空間的な大きさ」ではなく、「意識」としての夜だろう。「夜のなか」のかわりに、嵯峨は「闇のなか」と書く。「意識の闇のなか」に探す。そして「自らを失う」。
 残されたのは「探した」という記憶だけである。あるいは「探す」という行為だけである。








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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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