嵯峨信之『小詩無辺』(1994)を読む(6) | 詩はどこにあるか

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人名

 「ふとそのひとの名をおもいだした」と書いたあと、嵯峨は、こう書いている。

ぼくはいま
誰かの記憶のなかを通つているのかもしれない

 思い出すというのは、「記憶」をいまに蘇らせることである。「記憶」のなかにいる誰かを思い出すというのは、「記憶」のなかで誰かが動くということだろう。つまり、誰かが嵯峨の記憶のなかを通っている、と考えるのが普通だと思うが、嵯峨は逆に考えている。
 刺戟的だ。荘子の蝶の夢のように。
 誰かが嵯峨の記憶のなかで動いたのか、誰かの記憶のなかで嵯峨が動いたのか。それは確かに、区別がつかない。







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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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