嵯峨信之『小詩無辺』(1994)を読む(4) | 詩はどこにあるか

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                         2020年01月22日(水曜日)
自由画というものがあつた

言葉は
言葉以外の意味にあふれている

 詩を語るとき、思い出してしまう二行だ。
 たぶん私は書かれていることばを、辞書に書かれている意味とは違った意味に受け取っている。余分なものをつけくわえ、その余分を楽しんでいる。
 では、この二行については、どうか。
 「意味」を主張することばには警戒しなければならない。
 「意味」は「意味」を完結させる。「意味」をどうやって破壊して、「ことば」を読むか。
 そのことを考えなければならない。







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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
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