嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(69) | 詩はどこにあるか

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* (ぼくの唇はそれつきり閉じられた)

 その結果、「やさしい言葉は出てこない」。そのあと詩は転調する。

微風に
小枝のさきに残つている円い実が動く

 「微風」と「小枝」は響きあう。さらに「小枝のさき」と「残る」も響きあう。そういう「響き(音楽)」を経由したあと、「円い実が動く」とことばが結ばれる。
 「微風に」「動く」。ここにも響きあいがある。その動きは、当然「小さい」。(小枝が、そういう方向へことばを動かしていく。)
 こういう運動をさらにスムーズにしているのが「円い」である。
 これは「現実」の風景というよりも、こころがつくりだした情景というものだろう。
 他者に向けてではなく、自分自身の風景のためにことばが動いている。こういうことを「閉ざす」というのかもしれない。








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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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