嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(66) | 詩はどこにあるか

詩はどこにあるか

詩の感想・批評や映画の感想、美術の感想、政治問題などを思いつくままに書いています。

                         2020年01月10日(金曜日)

* (約束は)

 短いことばで始まる詩の前半を省略し、最後の二行に結びつけてみる。

いま暁の冷たい雨にぬれて
花々は小さく顫えながら育つている

「冷たい雨」「顫える」は敗北や喪失を連想させる。それは求めているものではない。求めていたもの、約束したものは、それとは逆のものであったはずだ。しかし「約束」は裏切られるためにある。運命だ。そして、思い出すためにある。
 この悲しみは、しかし、青春の特権である。
「育つ」ということばが、それを象徴している。敗北しても敗北しても、あるいは喪失しても喪失しても、決して失われないものがある。






*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)