嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(57) | 詩はどこにあるか

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* (大きな幹によじのぼりたい)

その幹から黄金虫が一匹
サハラ砂漠の太陽へむかつて飛びたつた

 「黄金虫」は嵯峨である。「よじのぼりたい」という欲望が、嵯峨を黄金虫に変える。そして、黄金虫は嵯峨の欲望にしたがって「サハラ砂漠」へ飛び立つ。ここに書かれているのは、欲望の現実である。小さな風景を描いているわけではない。
 欲望から詩を読み直せば、

駱駝は砂漠のなかを大きな数字を踏んで歩いていく
「無限」ということを考えよう

 という詩も、「歩いていきたい」「考えたい」という嵯峨の欲望だったのだ。