嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(46) | 詩はどこにあるか

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* (ぼくをゆるしてくれ)

流れる水はぼくを涯のない悲哀へおしながす
水よ どうしてその手でなにもかもゆするのか

 私は、この部分を「誤読」する。私は、こう読んでしまった。

水よ どうしてその手でなにもかもゆるすのか

 「ゆする(揺する)」ではなく「ゆるす(許す)」。悲哀へおしながすこと、それが「許す」。悲しむことで「許される」ことがある、と。
 ひとは、ときには悲しむことが必要なのだ、と。









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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
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