嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(45) | 詩はどこにあるか

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* (わたしが夢のなかで手折つた花を見せましよう)

これをあなたの心の一輪ざしに挿しましよう
すると未知の世界がそつとあなたのものとなるでしよう

 美しいイメージだが、このイメージを「厳密」に追いかけようとすると、かなり困惑する。「あなたの心に」花を挿すのは、「わたし(嵯峨)」の空想である。その空想のなかで「未知の世界」が「あなたのものとなる」。これもまた空想なのである。
 でも、きっと、そんなふうには「厳密」に考えない。
 「あなたのために花を持ってきました。あなたのこころに挿してください。そうすればあなたのこころに、未知の世界が広がるでしょう」と呼びかけている、いや呼びかけようとしている嵯峨の姿を思い浮かべる。同時に、その花を受け取った女の気持ちにもになる。
 ことばのなかでは作者と読者はあっと言う間に入れ代わるし、作品のなかの「わたし」と「あなた」も瞬時に入れ代わってしまう。そして、この入れ代わりの速さ(スムーズさ)が「美しい」と感じるひとつの要素だろう。嵯峨は、そのスピードを加速させる方法として「すると」という論理的なことばをつかっている。








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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
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