嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(43) | 詩はどこにあるか

詩はどこにあるか

詩の感想・批評や映画の感想、美術の感想、政治問題などを思いつくままに書いています。

* (薊の花が蝶をひきつけるように)

愛情が時間をひきつける

 このとき「時間」とは何だろうか。「過去」だろうか、「未来」だろうか、「いま」だろうか。時間をひきつけると時間は、どうなるのだろうか。「愛情」ということばは抽象的すぎるが、愛のさなか、とくに肉体の愛のさなかには、時間は消える。時間を忘れてしまう。
 ひきつけられたものは、自分の存在を忘れてしまう。「愛情」にひきつけられ、「愛情」は「愛情」がどういうものであるか、忘れてしまうだろうか。
 簡単には言えないのは、「愛情」も「時間」もかわりつづけるものだからだろうか。

水が空気をひきつけるように
憎悪が壁をひきつける

 「憎悪」は「愛情」、「壁」は「時間」を言い直したものか。











*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)