雨雲がずりおちるように
あなたの白い豊満(ゆたか)な肩から
重い衣裳がずりおちる
「ずりおちる」は「ずれて、おちる」。そこにあるべきものが、そこから「ずれて」、その結果「落ちる」ということだと思うが、私はこの音になじめない。「ずれる」は「すれる(こすれる)」でもあると思う。接触がある。摩擦がある。それがそのまま「音」になる感じだ。重苦しい音だ。不快な音だ。
この印象は、次の行の展開と不思議な向き合い方をする。
嘘のなかのしずかな雪渓よ
舞い落ちる沈黙よ
「しずかな」「沈黙」。ふたつのことばには「音」がない。「ずりおちる」といっしょに音は書かれていないが、私は音を感じる。その、私の感じた音を消すように「しずかな」と「沈黙」がある。
「雪渓」は、どう動いているのか。「しずかに」とどまっているのか。「沈黙」は舞い落ちる。まっすぐに落ちるのではなく、揺れる。ときには「舞い上がる」という逆の動きを含めながら「落ちる」かもしれない。
「音」の印象は定まらない。その、さだまらない動きのなかから、「白」という色彩が見えてくる。「白樺」「白い肩」。「雪渓」のなかにも「白」が隠れている。
きのう読んだ詩のなかにも「白」があった。
「白い雨」(雨の白さ)を嵯峨は書こうとしているのだろうか。
*
詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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