中曽根の死 | 詩はどこにあるか

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中曽根の死
             自民党憲法改正草案を読む/番外307(情報の読み方)

 2019年11月28日の読売新聞(西部版・14版)の1面に中曽根康弘元首相の死亡記事が載っている。
 いろいろ書かれているが、注目したのが渡辺恒雄のコメントだ。

私が平記者、中曽根さんがまだ陣笠代議士の頃から、毎週土曜日にはきまって読書会をして、良書を読みあさった。

 「良書」が具体的に何を指しているかはわからないが、本を読んでいたことだけはたしかである。そして、語り合っている。コメントは、こうつづいている。

 夜二人で酒を飲むときも、話題は読書の話、政治の話ばかりだった。あのような勉強家、読書家は他に知らない。

 20行足らずの記事のうち、半分近くを占める。「読書家」の印象が強いのだろう。「読書」というのは単に他人のことばを読むことではない。他人のことばにふれて、自分のことばを点検することだ。ことばをつかって何を考えられるか、それを考える。考えを確かめるために語り合う。それを実践していたことがわかる。
 そこから今の首相、安倍を見ると、どうなるか。
 「読書」しているようには見えない。ことばをつかって考えている、考えるためにことばとむきあっているようには見えない。その場しのぎで、テキトウなことを言っている。信念は「ぼくちゃんが偉いんだから、みんなぼくちゃんのことを大事にしろ」だけのように思える。国会答弁などを聞いていると、なんといえばいいのか、「反論」したいという気持ちにならない。
 中曽根の場合は、「反論」が必要だった。安倍の場合は、「反論」ではなく、「非論理/論理的な間違い」への指摘にすぎない。よく安倍は「対案を出せ」というが「対案」を必要とする「論理」そのものを安倍はもっていない。「哲学」がない。
 中曽根を評価しているわけではないが、「ことば」が強い。「浮沈空母」は、日本列島を防衛するという「意味」で言ったのかもしれないが、「浮沈空母になって、アメリカの最前線で戦う(ソ連、中国、北朝鮮が太平洋へ進出するのを防ぐ)」という意思をアメリカにつたえることになったのではないだろうか。「ことばの射程」をごまかして小さくみせるのではなく、逆に「ことばの射程」の広がりを暗示させる。「空母」ということばで、ちゃんと「戦争」を明示している。「浮沈空母」には、中曽根の「世界戦略思想」がある。安倍のように「戦争法」を「安保法制」などということばでごまかしたりはしない。
 さらに中曽根は、声が明瞭だった。声は人格である。書かれたことばにも人格が出るが、声の方が直接的に出る。隠しようがない。中曽根の人格を知っているわけではないが、声の強さは「対話者」を真剣にさせる力になると思う。(田中角栄も強い声をもっていた。)
 政治はことばである。ことばは思想であり、哲学である。また、ことばは声であり、声はことばだ。そういうことを、あらためて思った。





#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


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