「薔薇の新種のようなものだろう」とつづくが、その詩の最後の二行。
もしそれを数え唄にうたおうとすれば
それはどこまでも果しなくなつてしまう
「数え唄」がおわらない。
私が「不思議(奇妙)」と思うのは、そういう「事実(意味)」のことではない。
「それを」「それは」と繰り返される「それ」である。
「それを」は「愛を」であり、「それは」は「数え唄にして歌うこと」である。微妙に違うのだが「それ」という共通のことばでくくられるので、「愛」と「数え唄にして歌うこと」が同じものとしてあらわれてくる。そのとき、「愛」とは「ひとつ」ではなく、どこまでも数え続けられないと愛ではない、という形で復讐(?)してくるように感じられるのだ。
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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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