嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(6) | 詩はどこにあるか

詩はどこにあるか

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* (瞶めていると真ん中が小さな黄色に光る星)

転居してから一通の手紙もこない
まだ埃っぽい部屋にはいると
葡萄棚のむこうの遠い空に
蜘蛛の糸のように葡萄蔓に絡んだ金星が輝いている

 「まだ埃っぽい部屋」という具体的な描写が強い。転居してきたが、まだ嵯峨の「匂い」が部屋になじんでいない。人が住んでいなかったときの、無人の匂いが居すわっている。それが肉体を刺戟してくるのは、嵯峨がひとりだからだろう。
 「部屋にはいると」の「はいる」という動詞が、とてもおもしろい。無人の部屋にはいると、ひとりであることがさらに実感される。部屋にはいった嵯峨を、無人だった部屋がつつみにくる。それは絡みついてくるような「しつこさ」があるかもしれない。だから「蜘蛛の糸」「葡萄の蔓」という比喩が選ばれ、さらに「絡む」という動詞がつかわれるのだろう。





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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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