嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(5) | 詩はどこにあるか

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* (一茎の白い花は)

一茎の白い花は
少しばかりぼくの手に似ている
この手でいつも一つの窓を開いた

 「一輪の」ではなく「一茎の」。この焦点の当て方がおもしろい。二行目の「手」が「茎」のなかに隠されている。「花」が比喩なのではなく、「茎」が比喩として働いている。しかも「一茎の」を追いかけるようにし「花」があらわれる。「花」は「開く」という動詞を隠している。ふたつの隠された存在と動詞が結びついて三行目になる。
 この三行で、私は、この詩は完結していると思う。
 けれど、嵯峨は、この詩をさらに押し広げていく。「花」と「手」は別の世界を開いて行く。私は、それを引用しない。「意味」はわかるが、「意味」が強すぎて、最初の三行で動かされたものが消えてしまう感じがするからだ。






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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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