チャン・イーモウ監督「SHADOW影武者」(★★★★)
監督 チャン・イーモウ 出演 ダン・チャオ、スン・リー、チェン・カイ、ワン・チエンユエン
チャン・イーモウと言えば「赤」。「紅いコーリャン」の「赤」もそうだが、そのあとも「赤」が美しかった。日本の赤とは違うチャイニーズレッド。それと拮抗するさまざまな原色。たとえば補色の緑。(アメリカ映画にはだせない色。イギリス映画とも違う輝き。)やっぱり大陸の空間が影響するのだと思うが、原色が同居しても、うるさくない。明るいバランスが強烈だった。
それが、なんと。
今度の映画は、まるで「墨絵」(水墨画)。降り続ける雨が、必然的に遠近感のなかに「灰色」のグラデーションを抱き込むが、登場人物の衣装も白と黒、灰色。さらに城のなかにはシャの懸垂幕(掛け軸?)みたいなものがかかっていて、そこには文字(詩)が隅で書かれている。最初の内は(ほとんど最後までだが)、色彩は「人間の顔」くらいなもので、モノクロ映画の世界に飛び込んだよう。
この白と黒に「陰陽」が重なる。光と影。「影」にはいろいろな意味がある。「陰謀」などというのも「影」だろう。ストーリーは、いわば「陰謀(影)」と「戦闘(光/現実)」とのからみあいで進んで行くのだが。さらに「陰陽」は、「男」を「陽」と呼ぶときは、女は「陰」になり、そのからみあいと読むこともできる。実際、「男/女」はいろいろな意味でストーリーを動かす。
でも、見どころはストーリーではない。(歴史に詳しい人は、ストーリーが重要だというかもしれないが。)
主人公が「武術」を完成させるシーン。薙刀のように長い刀をあやつる武将とどう戦うか。その訓練をするシーン。長刀(陽)に対して、傘(影)で立ち向かう。長刀(男)の力を、傘(女)のしなやかさで吸収しながら、相手の武器を奪い取ってしまう。
このシーンがまるで一幕ものの「ダンス(バレエ?)」のよう。二つの琴をつかった音楽にあわせて、男と女の肉体が融合して動く。そこに雨と光が陰影を与える。水溜まりを踏み荒らす足、飛び散るしぶき。それも一緒にダンスする。予告編でもちらりと紹介されていたが、「あ、もっと見たい」と思わす叫んでしまいそうだ。(このシーンだけで、★10個つけたいくらい。)
傘を武器に変えての市街戦も、まあ、見どころではあるのだけれど、これは「予告編」だけで充分という感じ。
そのあとの、やや入り組んだ「ストーリー」は、私の「関心外」で、私が考えたのは「陰陽」という中国の思想というか、中国人というのはやはり「対」感覚が強いということ。それは逆に言えば、世界は「1+1=2」という関係で「安定」するという感覚。「2」を超える数字は中国人には存在しない。「3」は、あってはならない数字(世界の向こう側)なのだ。
これは、音楽のありかたを通しても描かれている。琴の合奏というのは、違う琴を違う二人が演奏し、違う音を奏でながらひとつの世界をつくりだすこと。ここにも「1+1=2」、「2」こそが世界の絶対的な完成の形という思想がある。そこにもし、もうひとつ「1」が加わることは、完璧が崩壊するか、完全に違った何かが誕生することであり、中国の思想ではない。
だから。
この映画、主人公の「影(余分な1)」の存在が「世界」を不安定にする。いつでも、どこでも「1対1」のはずが、別なところに「1(本物であったり、影武者であったりする)」がいて、「2」におさまりきれない。どうしたって「陰」か「陽」か、どちらかを消して「1」にしないことには世界は不安定になる。そういう意味では、わかりきった「結末」なのだが。
この「中国式予定調和」が、まあ、映画の結末としてはしかたがないのだろうけれど、残念。★5個にならない理由。
(中洲大洋スクリーン3、2019年09月11日)