嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(100) | 詩はどこにあるか

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* (--そうだ)

ぼくは川霧の中から詩のFormを探してこよう

 詩のことばではなく、「Form」と嵯峨は書く。突然あらわれたこの外国語を私はどう読んでいいのかわからない。

ぼく自身を忘れなければならない
知識を 経験を
愛を
憎悪を

 これは「詩のFormを探してこよう」を言いなおしたものだろう。「ぼくを忘れる」ための方法である。「ぼくを忘れる」とは、新しく生まれ変わると言いなおせるだろう。
 知識も経験も愛も憎悪も、いままでとは違う形として生み出す。嵯峨は、その方法を自分を捨てるということのなかに見つけようとしている。日本語を「外国語」のように、新しいものとしてとらえようという「意味」をこめて「Form」ということばをつかったのかもしれない。







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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
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