嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(98) | 詩はどこにあるか

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* (小さな港に出た)

ここに来て
海の隅に
緑が休んでいる

 「来て(来る)」「休んでいる(休む)」の「主語」は何か。海の「緑(色)」が港に来て、その港の隅で休んでいる。何もしないで、ただ緑(の色)のままに、そこにある、ということか。
 海はどこまでもつながっている。そのつながりのなかで、つながりから隠れるようにして、そこにある緑。
 それは嵯峨の自画像だ。
 書き出しの「小さな港に出た」の「出る」という動詞がとても興味深い。港に来ようとしていたのではない。歩いていたら港に出会ったのだ。「出会い」の「出る」なのだ。
 それは隠れていた自分自身との「出会い」でもある。

 「油津港」という註釈がついている。





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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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