嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(95) | 詩はどこにあるか

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* (言葉からぬけ落ちた小さな仏の子を)

湯浴みさせ 名をつけよう
裸のままもう歩きだそうとする

 「名をつける」は美しい動詞だ。名前がなくても「仏の子」は存在する。もしかすると生まれたときからすでに名前を持っているかもしれない。それでも、「名をつける」。
 その存在に、そうやって近づいていく。「名をつける」ことは「関係する」ということだ。そして、それは一方的な働きかけではない。「名をつけ」たそのときから、「仏の子」から何かが返ってくる。
 嵯峨は「名」を呼びながら、「仏の子」が歩きだす方向へと追いかけていく。









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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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