嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(94) | 詩はどこにあるか

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* (一方から他方へ)

ぼくを移動させる透明な車がある

 「透明な」は「見えない」。「ある」は嵯峨が「ある」という状態にさせている。想像力が「ある」を生み出す。

どこにもない国へつれていつてくれる〈時の車〉だ

 「時の車」ならば、つれていくのは「どこ」というよりも「いつ」になる。「時」はふつう過去から未来へうごいているととらえられている。しかし嵯峨の「時の車」は「過去」や「未来」へゆくわけではない。「どこにもない」時間へと嵯峨を連れて行く。
 「時」がある方向へ(一方から他方へ)動く前の「時」という概念のなかへ。







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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
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