風のゆくえ 水の姿 愛の終わりを
ぼくは遠望した
詩はつづいているのだが、ここで断ち切ってみる。
「風のゆくえ 水の姿 愛の終わりを」ということばを挟んで「かれと「ぼく」が向き合う。向き合うという形で「ひとつ」になる。いや、このときの「向き合う」は正確な表現ではない。並んで「ひとつ」の方向を見る。「方向」が「ひとつ」なのだ。
「ひとつ」であることを確認した上で、ことばは、言いなおされる。
炎と影とがもつれあつて真昼の野をゆくのを
「ゆくえ」は「ゆく」という動詞でかさなり「ひとつ」になっている。「ひとつ」は「もつれあう」という動詞でも繰り返されている。
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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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