嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(88) | 詩はどこにあるか

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* (かれは描いた)

風のゆくえ 水の姿 愛の終わりを
ぼくは遠望した

 詩はつづいているのだが、ここで断ち切ってみる。
 「風のゆくえ 水の姿 愛の終わりを」ということばを挟んで「かれと「ぼく」が向き合う。向き合うという形で「ひとつ」になる。いや、このときの「向き合う」は正確な表現ではない。並んで「ひとつ」の方向を見る。「方向」が「ひとつ」なのだ。
 「ひとつ」であることを確認した上で、ことばは、言いなおされる。

炎と影とがもつれあつて真昼の野をゆくのを

 「ゆくえ」は「ゆく」という動詞でかさなり「ひとつ」になっている。「ひとつ」は「もつれあう」という動詞でも繰り返されている。







*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
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