嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(85) | 詩はどこにあるか

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* (石を疑う)

動かぬものに何の意味があるのか

 私は、「石は疑う」と「主語」を変えて読む。つまり、「自問」として、嵯峨の思考として。
 石は対象ではなく、「比喩」としての「自己」である。
 だから、最後にこう書かれる。

いや 石は沈黙に疲労したのだ

 もし石が「他者」(自己でないなら)、文末は「疲労したのだろう」と推量になる。自己であるからこそ「疲労した」と断定できる。




*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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