嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(82) | 詩はどこにあるか

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* (沈黙ということがなければ)

どこでぼくは生きていられたろう

 とつづくこの詩は、こう閉じられる。

そこにある小屋で眠ろう
石ころが話しかけてくる小屋の中に

 石ころはどんなことばを話しかけてくるのか。「沈黙」が話しかけてくるのだ。
 私は小屋のなかを想像する。小屋に床はあるか。土が(大地が)むき出しか。たぶん床はない。石ころはそのまま大地(地面)につながっている。直接つながっている。この「直接」という感じが、石ころの「沈黙」と「ぼく」をつなぐ。
 「沈黙」ということばさえも存在しない直接性、その「こと」を、ことばから拒まれている「ぼく」が生きる。










*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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