嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(66) | 詩はどこにあるか

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* (強い力でさえ)

耕やされた精神の所産である

 「耕やされた」は「精神」を修飾する。しかし精神を耕すのは、誰(何)なのか。精神はみずからを耕すのではないだろう。
 「耕やされた精神」ではなく「耕す精神」が何かを生み出す。「精神」ではなく、「強い力」を。
 修飾語と修飾されることばを入れ換え、動詞を動かしてみると、「力」が見えてくる。力はいつも動詞の中にある。










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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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